道は左右に分かれても結局は同じ穴の狢? 右翼と左翼は紙一重

 世間の善男善女の皆さんの多くは、「右翼左翼は正反対のもの」と思っておられるようであるが、筆者は主張の内容は一見違って見えるものの、真理の独占者を気取り、「独善」「高慢」がやたら鼻につくその精神構造が極似しているように思えてならない。自分のみならず、他人をも自己の精神活動の支配下に置こうとする特異な「我執」を持つという点において両者は同じである。
 故・
赤尾敏のように天皇制社会主義を唱える大物右翼もいたし、昭和7年には当時の日共幹部である佐野学、鍋山貞親天皇制社会主義への転向を表明して「共同被告同志に告ぐる書」を出している。現代における右翼文化人の大御所渡部昇一先生も、天皇制廃止さえ取り下げれば、日共は一番いい政党だ」とおっしゃっておられるとか。時計の針が離れれば離れるほど、ある時点からは逆に近づくように、極右極左は案外と紙一重のお隣さんではないのか。
 
『新しい歴史教科書』の中心人物である藤岡信勝は湾岸戦争の頃まで日共党員であった。彼は、如何に効率よく自分たちの価値観を子ども達に注入するかという変わらぬ方針を日共時代も右翼時代も一貫して貫いている、本当にエライお方である。さらに、田中角栄元首相の秘書早坂茂三も元日共党員西部邁、渡辺恒雄、森田実高野孟、長谷川慶太郎も元日共党員である。産経新聞を創業した水野成夫は戦前日共の幹部であった。ここで注意しなければならないのは左翼から直右翼に変身していることである。間違ってもその中間を経由している訳ではないのである。「三つ子の魂百までも」ではないが、結局、主義が変わることはあっても人間の精神構造はそう簡単には変化しないようで、大衆の思想的指導者にして「真理の独占者」を気取っておられる方々のオンパレードである。
 目を海外に転じると、欧州では
極右政党が大躍進、移民排斥などの過激な思想が受けに受けている。そして、各国の極右党首には元共産党員もしっかりおられる。この現象は今も昔も変わりなく、ファシストの代表ムッソリーニ(1883〜1945)は1908頃イタリア社会党に入党し、機関誌「アヴァンティ(前進)」の編集長となった。1914党からはファシストになった。
 最後に
ナチス共産党も一緒という例を一つ。
 
ヒトラー国家社会主義ドイツ労働者党Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei(ナチス)を率いて暴力によるワイマール体制の打倒をねらいミュンヘン一揆を起こし失敗。その後、議会進出による合法的な目的達成を狙った。一方、政治的最終目標を労兵評議会による独裁体制におく共産党は、暴力的蜂起がことごとく失敗したため、独裁体制をめざした議会戦術に全力をあげた。ドイツ議会において議会制民主主義を根本から否定する政党はナチス共産党だけだった。ナチス共産党もワイマール時代の後期に最も票を伸ばし、街頭宣伝で最大のライバルとなった。また、ナチス共産党と組んでストライキを支持したこともあった。この二つの政党は一卵性双生児だったのである。
 1933年3月23日、ドイツ国民議会は、第一党の国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)から「民族と国家の難題を除去するため」と提案された全権委任法を可決し、政府に立法権をゆだねることを自ら選択した。同法の成立には出席議員の三分の二以上の賛成が必要だった。はやくから社会民主党は同法に反対するよう共闘を共産党に申し入れていたが共産党は拒否していた。そして、81議席を擁する
共産党ナチスの政策に荷担し議会制民主主義を否定した



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