絶好のデート日和、というのは今日のような日を言うのだろうか
 デートといえども商店街を練り歩いた後で、百花屋に行くだけのチープなもの
 もちろんのこと、それだけにベストコンディションを望むわけじゃあない
 何度も繰り返してきた日常の延長といっても過言ではないわけであるし
 しかしだからといって……………

「雨、鬱陶しいわね」

 仰ぎて黒雲、臥して水溜り
 注ぎ降る恵みもこんな梅雨の時期では日常茶飯事
 それに一般市民にとっては、嫌悪の対象にしかならない

「ん、なあ、一つ思うのだが」

 平たく言えば土砂降りなのである
 雨宿りに使った民家の軒先は、まだ待ち合わせ場所には遠く
 屋根を打ち鳴らす雨粒は、樋に溜まりきらずに漏れ出して滝のように目の前を垂れている
 地面に跳ね返ると泥を跳ね上げ、スラックスの裾に染みを作っていく
 寝坊のために飛び出し、傘など持ってこなかった
 濡れたシャツは、肌着を着けていない体に張り付くと独特の感触がある

「全く、なんだってあなたと会うのかしらね、しかも偶然も偶然に」

 雨に濡れていつものウェーブが、少しストレートっぽくなっていて
 まさに、水も滴るいい女という形容が相応しい大人の女の雰囲気を醸し出している
 普通に出会ったならば、こんな甘味なシチュエーションというのはそうそうないだろう

「ったく、はぐらかすなよ。にしても、今日は美坂さんが一段と綺麗に見えるな」

 唇の端を吊り上げて笑おうと試みたが、失敗した
 その点、彼女は慣れているかのようにニヒルに笑って言った

「あら、お世辞でもありがとう、相沢君。あなたも一段とかっこいいわよ」

 もう一度、黒い空を見上げた
 雨は上がるどころか、むしろ強くなりつつある
 傘を忘れて隣に佇むのは昔の恋人
 そしてそれは、今の恋人の姉
 複雑な交友関係が疎ましい
 なんだって、ここまで気不味いのだろう

「はぁ、だる」

 自然と突いて出た溜息は、雨音に掻き消された





彼と彼女の二乗






「栞は?」
「張り切って出てったわよ、今頃は商店街の入り口じゃない?」

 最悪だ
 待ち合わせ時間まで、実際はあと30分
 自分の時計が狂っていたらしく、たぶん真琴のせいだろう
 全く、こんなときにこの類の悪戯が当たるとはついていない
 怒る気までもが雨音に掻き消されそうだった

「やってられないなぁ」
「あたしと一緒にいることが、かしら?」

 含蓄があるというのは分かりきっている
 だからこそ、反応してやらなければならないんじゃないか
 そんなつまらないヒューマニズムに突き動かされるように一歩近付く

「いや、未練がないわけじゃないぞ? ただ、意見の相違というのもはどうしようもない」

 言い訳がましくそんなことを口に出した
 そうすることで、罪悪感と焦りが消えてくれるのならばお安いものだ
 もっともそれほど甘い世の中ではないから、常に情事はトラブルに見舞われる
 自分たちの例も普遍的な問題の特殊例に過ぎない
 だから後悔ではなく、未練なのだ

「気にすることはないわ。どんな世でも、犬は猫より好かれるものだから」

 揶揄と自嘲の包含された彼女特有の自分への嫌味
 彼女を好きになりきれなかった原因の一端は、これかもしれない
 今考えたとしても意味のないことだが

「どうだろな、少なくとも名雪は猫が好きだと思うぞ」

 ふっと彼女が笑った
 付き合いが長くなければ分からなかっただろう
 それほどの笑い方で笑ったのだ
 だからこそ、勘違いというのはあまりにも残酷だろう

「あなたの、そういうところは嫌いじゃなかったわ」

 ということは、それ以外は嫌いだったのだろうか
 なんて馬鹿馬鹿しいことを考えながらその場に座り込んだ
 雨脚は一向に弱まらず、既にじっとりと体中が濡れて気持ちが悪い
 たまにはこちらも言い返してもいいだろう
 フェミニストは敗者の戯言なのかもしれないわけだし

「ふーん、じゃあどんなところが嫌いだったんだ?」

 一瞬の驚いた顔を経て、思案する顔へと移る
 自分としても、彼女のこういう表情変化は嫌いじゃなかった

「そういうあなたは私のどこが好きだったの?」
「さあな、以前の俺にでも聞け」

 即答だった、というより返って来る質問が予測できていた
 質問に質問で返すのは、質問されるのが嫌いな人間の質
 来る大洪水を知っていたのならば、方舟を作ることは容易い
 悪魔の襲来を告知されていたならば、家に籠ることは必然であるわけで
 だからノアは助かったし、ヘブライ人は生き延びたのだ

「って、あなたねぇ、それはないんじゃないかしら?」
「だったら答えてやってもいいぞ」

 押してダメなら、引いてみたらいい
 もたれ掛かっていたのならばこちらに倒れてくるに違いない

「へぇ、興味あるわね」
「まあ今の俺の考えだから気にしなくてもいいがな」

 現代人は何かと答えを急かしたがる
 答えに縋りつかなくても生きていけるものを
 求めて、急かして、そして早まって失敗するのだ
 たまには立ち止まる必要もある
 そこで振り返ってみても、道は続いていないのだから

「焦らすわね」
「因みに、俺は一番好きな女には絶対そんなことしないけどな」

 少しカチンと来たらしい
 二歩こちらに近付いてきた
 そして、手を伸ばせば届く距離になる

「私も、好きな男性に対しては常に謙遜の姿勢をとるわね」
「そう言ってもらえてよかったよ」

 常に罪悪感から逃げる
 恋というのは深まれば深まるほどそういうもの
 というのは、自分の考え過ぎなのだろうけど

「フランクに言って、これといっては、というのが適切な答えじゃないか?」
「まあ、そう言ってくれなきゃ今ここで殴り倒すところだったけど」

 相変わらずの皮肉屋だった
 もちろん、好きなところのない奴とは付き合うはずがない
 かといって事実をいうのは駆け引きとはいえない
 雨脚が弱まってきて、西の空が明るくなっていく
 通り雨とはいわないまでも、それほど大きな雨雲じゃなかったのだろう

「ありがと」
「こちらこそ」

 すっ、と彼女が自分にすり寄ってきた
 肩にしな垂れかかり、ぼーっと雨雲を見上げていた

「ねぇ、もしよ? もしも本当に私のことを好きだったのなら―――――」
「キスして、か?」

 すっ、と来たときと同じ速さで彼女は二歩離れた
 彼女にしては珍しい子供っぽい笑顔で右手を出してきた

「違うわよ、握手してよ」
「喜んで」

 心で盛大に溜息を吐きつつ、右手を出す
 しっかりと握られた二つの手からは、目に見えない何かが零れ出すようだった
 一握の砂が、手に留まることなく零れ落ちるように

「じゃあ、そろそろ行くわね」

 見たこともないようないい笑顔で彼女は振り向いた

「あ、ああ。また縁があったら会おうぜ」

 手を小さく振りながら、そう言ってやる

「こちらこそ」

 彼女はウィンクを残して、かなり小降りになった雨の中を立ち去った
 大きく肺の空気を溜息として吐き出した
 無性に煙草が吸いたかったが、生憎こちらに来てからは吸ったことがなかった





「祐一さん! 今、何時だと思ってるんですか!」
「んー、10時だな」

 雨を突っ切って商店街の入り口まで走った
 そこには、黄色い傘を差した栞が待っていた
 彼女の顔にはいつも、自然なあどけない笑顔が零れている
 といっても今は少しむくれ気味だが

「むー、10時2分です! 乙女を2分も待たせるなんて何たることですか!」

 怒っている顔でも、ちっとも怖くないところが可愛い
 彼女の顔はいつ見ても、漠然とした安心感が湧く

「いや、なんでもデートで必勝するには5分ほど遅れた方がいいらしい」
「必勝もなにも、祐一さんと私は運命的な恋人なんですから!」

 恥ずかしい科白を公衆の面前で披露しながら、体いっぱいに不満を表す
 そういうところが虐めたくなるのに、なんとも皮肉というかなんというか
 皮肉といえば、彼女は今頃何をしているのだろう
 雨は既に上がっていて、辺り一面にあった傘の花はもう見えない

「ああー、いま別の女の人のこと考えましたね!」
「あ、いや、そんなことはないぞ?」

 図星を突かれて、冗談抜きで焦る
 もしかして彼女は心でも読めるのだろうか
 そんな馬鹿げた妄想を弄びながら、してやられたという顔で頭を抱えた

「ふふん、恋する乙女の直感です。どうやら図星だったようですね」
「分かった分かったから、百花屋でアイス奢るから、な?」

 そう言った途端、ぱっと顔が明るくなる
 といっても会った瞬間から明るい顔をしてはいたのだが

「うわぁーい、祐一さん大好きですー」
「現金な奴だなぁ、でも俺は栞のそんなところが大好きだけどな」

 そう言ってやると、顔を真っ赤にして焦りだす
 全く難儀なものだ、自分で言う分にはいいが言われるのは恥ずかしいなんて
 だからもっと意地悪がしたくなって、抱きかかえてみた

「ちょ、ちょっと祐一さんー、人前でこんなことするなんて恥ずかしいです、止めてくださいよ」
「止めてやらない」

 じたばたと暴れるので、逆に強く抱きしめた
 観念したのか、栞はそのままじっとしていた

「いつもありがとな、栞」
「えっ?」

 解放してやっても、放心したようにぼーっと顔を見つめられた

「気にするな、深い意味なんてないから」
「そ、それよりいきなりあんなことする祐一さんなんて嫌いですっ、ぷんすか」

 頬を膨らます仕草に、溜まらず吹き出した
 すると、更に怒り出す

「ああー、馬鹿にしましたね! アイス10個追加ですっ!」
「そりゃ多すぎだ、太るぞー」
「いいんです、私はちょっと凹凸のある体になったほうが」

 アイスではそんな風になれないと言ってやろうと思ったが、止めておいた
 男としては少しは姉の体つきも見習って欲しいが、どちらかというと今のままの栞のほうがいい
 それが、ありのままの栞のような気がするから

「どうしました? 祐一さん?」

 見上げれば遠くの山に、不鮮明で不恰好な虹が掛かっていた
 それは鮮やかになりきれずに消えていく光の軌跡
 色々思うところがあって目を外した

「なんでもないさ。アイス買ってやるから、香里と分けっこしろよ」

 乙女の直感とやらに悟られぬよう、心の奥に憂いをしまいこむ
 客観的にいえば、未練だらけというにはおこがましい後悔だらけの人生だった
 だけれども、いくらそういうことが差し出がましくとも、それは未練なのだ

「ええー、お姉ちゃんにですかー。やだなぁ」

 後悔は、栞との出会い自体を覆すのだ
 それだけはありえない、だから未練

「じゃあ、買ってやらない」

 それに、人間は自分の人生に後悔なんて出来ない
 自分が選んだ道こそが、自分にとって最良の道に違いない
 だからこそ、自分の人生は未練だらけの人生

「ああ、分かりました! 分けっこします、分けっこ!」
「よろしい。んで、そのときに一つ伝えておいてくれないか?」

 その一つの未練に過ぎないけれど
 それは人生に置いての大きな選択だった

「ありがとうって」

 だから、感謝する
 そんな選択を、未練を、作り上げた姉妹を

「むむむむー、やっぱり何かあったんですか? お姉ちゃんと」
「なんでもないよ。俺は栞がいれば十分だから」

 また栞は真っ赤になった
 東の雲間に太陽が顔を出し、西の空は晴れ渡っている
 結局のところ今日は、絶好のデート日和なようだ





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