2010/05/07〜2010/05/09
講中の皆様と静岡・愛知方面のお寺巡り <1/13>

 GW明けの5/7(金)〜5/9(日)の3日間は、中村講中の皆様と静岡方面のお寺参りでありました(^.-)☆
 初日の5/7(金)は、P.M.8:00に集会所駐車場に集合です。

 が、この日は勿論勤務のGONsanですから、P.M.8:00の集合はチト厳しい(^-^;
 出来る事ならば、入浴して夕食を終え、それから集合といきたいものですけど、今回は1時間早い集合時間ですから哀しいですねぇ〜

 少し早めに勤務を終え、急いで我が家にと帰宅。
 そして、軽く夕食。
 時間はと言いますと、いゃぁもぅP.M.7:35ですから、とても入浴時間なんぞはありません。

 再度、手荷物を確認し、慌ただしく我が家を出ましたのがP.M.7:43。
 集会所に到着が7:48ですから、どぅにか定刻10分前に集合出来ましたから、まずは一安心。
 ですけど、これまた当然の事ながら、総勢24名の23番目の集合でしたようですネ(^.-)☆
 GONsanの後からお一人ヤッて来られまして、幹事sanの「はいっ、全員集合です!!」との声が耳に入りましたから(^-^)

 全員集合と同時にバスは出発。
 出発時間はP.M.7:52で、無事に、定刻前の出発となりましてヤレヤレのGONsanでありました。

 この日は車中泊で、日蓮宗総本山・身延山の明朝5:30までの到着に向け、ひたすらバスは走行です。
 GONsanを始めそれなりにご高齢の皆様ですから、途中何度かトイレ休憩は欠かせません。
 出発と同時に眠りに入りましたGONsanでしたから、岡山での最初のトイレ休憩は気付かずにパス。
 2回目のトイレ休憩は“西宮名塩”。

 よく眠っておりましたけど、今度は眼が醒めまして車外で一服。そして、屈伸運動。
 さすがにバス車内では足が大変疲れます(^-^)

 それから何度か休憩を挟みまして、最後の休憩場所が“東名・牧ノ原SA”。
 時間はと見ますと、A.M.3:15でしたでしょうか…
 ほぼ順調に予定通りの走行かと思いましたら、なんでも車が多くて少し時間を要していますとか…
 このため、以降は休憩無しのノンストップで身延山にと向かいますとの事。

 ふん、ふん、やはり土・日曜日の「高速1,000円」で車の走行は大変多い様子です。
 とにかく、身延山・久遠寺のA.M.5:30からの朝のお勤めに遅れる訳にもいきませんから、以降の休憩無しはやむを得ませんかも(^-^)
 まぁとにかく、日頃睡眠不足気味のGONsanですから、バス車内ではありましても眠れますのは嬉しいものでありました(^-^)//"

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車内のざわめきで起床のGONsan。
 時間を見ますとA.M.5:00少し過ぎ。どうやら予定通りの時刻で到着しましたようですネ(^.-)☆

 身延山久遠寺本堂での朝のお勤めは、冬場が6:00で夏場は5:30。
 まだ暫く時間がありましたから、皆さん、本堂の前で思い思いに会話をしたり写真を撮ったり。
 まだ眠りから完全に醒めてはいませんGONsanでしたけど、何枚かパチリ。
 そして、本堂の中へ…

 定刻通り、A.M.5:30にお勤めが始まりました。
 本堂でのお勤めの様子は、どなたかのホームページにこんな記載が…

 『6時からお勤め。お経は、鳴り物が入った、非常に早いお経で、山伏のような雰囲気で迫力のある、お勤めだった。最後に、一番偉いお坊さんのお話があったが、ここの創建は、昔、妙齢の娘が熱心に通ってきていたが、不思議に思い、問いただしてみると、龍女とのこと。法華経を守る龍女で、これからも天上に戻り、法華経を守護すると言って消えたそうだ。』

 まぁこんな感じでありました。
 この際のお経は、日頃GONsanが唱えますお経ではありませんでしたから、ただジッと耳にしますのみ。
 この朝のお勤めに何度も足を運んで来ておられます方でしょうか…経本も見ずにスラスラ唱えておられます方も…

 ■身延山久遠寺の由緒

 鎌倉時代、疫病や天災が相次ぐ末法の世、「法華経」をもってすべての人々を救おうとした日蓮聖人は、三度にわたり幕府に諫言(かんげん)を行いましたが、いずれも受け入れられることはありませんでした。

 当時、身延山は甲斐の国波木井(はきい)郷を治める地頭の南部実長(さねなが)の領地でした。日蓮聖人は信者であった実長の招きにより、1274(文永11)年5月17日、身延山に入山し、同年6月17日より鷹取山(たかとりやま)のふもとの西谷に構えた草庵を住処としました。

 このことにより、1274年5月17日を日蓮聖人身延入山の日、同年6月17日を身延山開闢(かいびゃく)の日としています。
 日蓮聖人は、これ以来足かけ9年の永きにわたり法華経の読誦(どくじゅ)と門弟たちの教導に終始し、1281(弘安4)年11月24日には旧庵を廃して本格的な堂宇を建築し、自ら「身延山久遠寺」と命名されました。


 お勤めを終え本堂を出ますと、修行僧の方達なんでしょうか…
 “南無妙法蓮華経”と唱えながら日蓮聖人御墓・御草庵跡方向に下っておられました。
 仲々絵になります光景でありましたネ(^-^)//"

   

 

 

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