ひらかたパーク(友人から貰った画像)<1/3>

 

 ■2012年05月14日
 
友人から貰った画像@ 
 
 
先日、友人が久し振りに画像を届けてくれました(^.-)☆ 拝見しますと、GW中に撮られたものの中にこんな画像が…
 これはもぅ随分前の昨年12月の画像ですねぇ〜天満屋で開催されました広島カープ選手のトークショーの一コマ。
 
 最近のGONsanはカープ選手の全員を言えなくなってしまいましたけど、うん、うん、これは天谷宗一郎ですネ(^_^)v
 そして、そのお隣りは背番号から庄司隼人選手。
 天満屋福山店での開催?最近は天満屋にも出かけます機会がありませんから、さぁ…
 
 それにしましても、友人はこんなイベントの開催をシッカリ把握しておられますから感心してしまいますよ。どこから情報を入手されますのでしょうねぇ〜
 
 ■広島東洋カープ・天谷宗一郎選手
 
 天谷宗一郎(あまや そういちろう、1983年11月8日)は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(外野手)。
 妻は広島ホームテレビ(HOME)アナウンサーの坪山奏子。
 
 福井商高時代は、バッティングセンスと俊足から「北陸のイチロー」と呼ばれていた。2年夏の大会では、県大会決勝で内海哲也や李景一らを擁する敦賀気比高に延長10回の死闘の末、3−2で勝利し甲子園出場を決めている。しかし甲子園では7番右翼手で出場したが初戦敗退。この時のチームメイトには1学年上に山岸穣がいた。
 3年春の甲子園では3番打者として1回戦で1本塁打3安打、1イニング2盗塁の活躍を見せた。3年夏の甲子園も出場し3期連続出場となった。
 
 50m走6秒0の俊足と選球眼のよさ、鋭いスイングが認められ、2001年のドラフトで広島東洋カープから9巡目で指名され、入団。福井商からのプロ入りはチームメイトの横山竜士以来7年ぶり。
 
 自分のバッティングスタイルを守るために、バッターボックスに入る際は小声で「センター(返し)、センター…」とつぶやいているという。俊足のため併殺打が少なく、一定以上の長打力もあるので、様々な打順をこなせるユーティリティ性をもつバッターである。2009年以降は、貧打にあえぐチーム事情もあって、同タイプの外野手である赤松真人とともにクリーンナップを打つ機会が多くなっている。選球眼が良く、重要な場面で四球を選んで出塁するケースが多い。2008年と2010年はシーズン打率が2割5分前後で終わっているが、いずれも3割を大きく超える出塁率をマークしている。
 
 一軍に定着した2008年は左翼・中堅での起用が主で、外野で最も肩力が要求される右翼での出場はほとんどなかったが、外野が広く、右翼線を抜けた打球が即三塁打につながるマツダスタジアムに本拠地が変わった2009年は、守備範囲を重視した首脳陣の意向により右翼手にコンバートされている。
 
 昔からいい選手のものはどんどん真似していこうと思っており、スパイクは赤星憲広(元阪神)、グラブはチームメイトである廣瀬のモデルを着用していると述べている。
 モデルとして活躍している伽奈とは実家が近く幼なじみであるが、天谷本人は「モデルというより、単なる友達」と語っている(2008年9月9日の中国新聞夕刊より)。
 サンフレッチェ広島に所属していた槙野智章とは親交があり、実際に広島アスリートマガジン(2009年2月号)で対談したことがある。
 
 …と、WEB上で天谷選手の検索をしてみましたら、こんな記載がありました(^.-)☆
 嫁さんは同県人と言う事もありまして天谷選手のファンのようなんです。まぁ同県人でありますと、誰でもファンになり応援しているのですけどネ(^-^)/~~~

   

 

 

 ■2012年05月14日
 
友人から貰った画像A

 
これは、友人の娘さん姉妹のチビッコゴルフの一コマですねぇ(^.-)☆
 でも、友人の娘さんの上の子は随分大きくなられましたから、“チビッコ”と表現しましたら叱られますかも(^-^)
 もぅ中学生になられたのかなぁ…
 
 場所がどちらなのか…昇級の検定試験なのか…何にも説明の記載がありませんから内容的にはサッパリ分かりませんGONsanなのであります。
 この子達の中から、将来プロが誕生しますのかどぅか…もしそぅなりましたら嬉しいですねぇ〜
 
 それにしましても、友人も結構子煩悩でおられるようですから、仲々微笑ましいですよ(^_^)v
 こんなゴルフの一コマは、過去にも何度か画像を届けて頂きましたから、毎回付き添って行かれていますのかも…
 
 この時期はゴルフを楽しみますには絶好の時候かも分かりませんねぇ〜
 ですが、スコアが良くありませんとそぅも行きませんかも(^-^)

 

 

 

 

 

 

   

 

 ■2012年05月16日
 ひらかたパーク(友人から貰った画像)B

 これらの画像は、友人がGWを利用して出かけられました「ひらかたパーク」で撮られたものなんです(^.-)☆
 ご家族4人で当初はUSJに出かけようと計画しておられましたようですけど、凄い人出を敬遠して『ひらかたパーク』に急遽変更されましたとか(^-^)
 
 確かにGW中は、どちらに出かけましても大変な人出ですから(^.-)☆
 ですが、GONsanなんぞは「ひらかたパーク」と言われましてもサッパリ…出かけた事なんぞありませんし、公園名も生まれて初めて耳にしましたから(^-^;
 で、早速、WEB上でお勉強です。
 
 ■ひらかたパーク
 
 ひらかたパークは、京阪電気鉄道が運営する遊園地。大阪府枚方市枚方公園町に位置する。最寄り駅は京阪本線・枚方公園駅。通称は「ひらパー」。 毎年コンスタントに120万人前後の入園者数があり、その数はユニバーサルスタジオジャパン(USJ)に次いで、大阪府下第2位を誇る。
 
 現在営業している日本の遊園地の中では最も古い歴史を持つ。日本最古としては浅草花やしきがあるが、花やしきは1942年(昭和17年)に取り壊された後、1947年(昭和22年)に復活した経緯があるため、断絶のない歴史としてはひらかたパークが最も古い遊園地となる。
 
 前身は寝屋川市にあった「香里遊園地」。1910年(明治43年)、京阪電車の開通に合わせ香里駅(現・香里園駅)近くの北河内郡友呂岐村大字郡(こおり)に十二万坪で開園した。当時繁栄していた遊園地であり、地名の響きも似ていた香櫨園(こうろえん)(兵庫県西宮市)にあやかり、名づけられたという。香里遊園地では第一回(1910年(明治43年))、第二回(1911年(明治44年))の菊人形展が開催されたが、周辺を住宅地として開発するために移転される事になり、枚方駅(現・枚方公園駅)付近に約1万m2の用地を買収、1912年(大正元年)10月6日〜11月25日第三回菊人形展が枚方で開催された。これが『ひらかたパーク』開業の起源となった。
 
 その後、菊人形展は1919年(大正8年)〜1922年(大正11年)に宇治で開かれていたが、1923年(大正12年)以降は枚方での開催が定着した。1926年(大正15年)に「枚方遊園組合」を設立して実質京阪電鉄の経営に一本化され、本館・余興館・ボート池・滑り台・ブランコなどを設置された。
 
 菊人形展は第二次世界大戦中も「戦力増強決戦菊人形」と呼称されて1943年(昭和18年)まで続けられた。が、その後建物は軍需工場として、グランドは食糧増産のために畑に耕された。
 
 1948年(昭和23年)ごろまで千里山遊園でも菊人形展を開催していた記録が残っているため、戦中、あるいは戦後直後までは枚方以外でも菊人形展が開催されていた事になる。なお、1948年(昭和23年)以降は枚方での開催のみとなっており、そのことが千里山遊園の閉鎖の一因とも言われる。しかし、戦中戦後に渡って菊人形が千里山遊園で開催されていた時期は京阪と阪急が合併していた時期と符合しており、1949年(昭和24年)に両者が分離して以降は熾烈なライバル関係になったため、阪急が運営する千里山遊園で菊人形を開催する事を嫌ったとする説もある。
 
 毎年秋季に開催されていた「ひらかた大菊人形展」は、主にNHK大河ドラマで放送される作品等を題材に展示していた(一部例外あり)。しかし、後継者不足などを理由として2005年(平成17年)で大規模なものは終了となった。その後、翌2006年(平成18年)には小規模な回顧展が開催された後、2010年(平成22年)には京阪電鉄の創業100周年記念企画として、限定復活開催されることになった。
 
 …と、こんな「ひらかたパーク」であります(^_^)v
 お子様連れで楽しい一時を持たれたものと思います(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

← 戻る  Contentsに戻る  トップページに戻る  進む →
Ads by TOK2