2013/05/24〜05/26
2013 中村講中の皆様と東北方面のお寺巡り <1/12>

 ■2013年06月10日
 
05/24(金)〜5/26(日)は中村講中の皆様と東北方面のお寺詣りでありました(^.-)☆
 
 
2013/05/24(金)〜5/26(日)は、中村講中の皆様と問え北方面へのお寺詣りでありました(^.-)☆
 本来なら2年前の5月に出掛ける予定でありましたが、予期しません大地震のお陰で2年遅れの東北行きとなりました。
 
 福山〜仙台は約1,200kmの行程となりますけど、今回も大福観光sanのバスを利用しましての夜間走行。
 毎年の事で慣れてはおりますけど、今回は少々距離が長いですから、数時間毎のトイレ休憩が待ち遠しいかも分かりませんねぇ〜
 
 それでは、また、画像で今回の東北行きをご案内させて頂こうと思います(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 福山を出ましてから約13時間余り…この間は、トイレ休憩を除きますとズッとバス車内(^-^)
 車内泊には慣れておりましても仲々眠りには入れません。が、さすがに、いつの間にか眠ってしまいまして、ハッと気が付きますと国見SAにバスは到着。
 とは言いましても、国見SAが何処に位置しますのかサッパリ(^-^)
 
 時間はと見ますと、A.M.6:00少し前。
 ここで洗顔・朝食…と、暫しフリータイム。
 観光マップの表示版に眼を向けますと、ふん、ふん、福島県と宮城県の県境辺りでありました(^.-)☆
 
 ■国見サービスエリア
 
 所在地:〒969-1711 福島県伊達郡国見町貝田 北緯37度54分 東経140度34分
 
 国見サービスエリア(くにみサービスエリア)は、福島県伊達郡国見町の東北自動車道上にあるサービスエリアである。
 東北自動車道の福島県内において、最も北に位置するサービスエリアである。宮城県との県境付近、すなわち峠に位置する。
 仙台方面(下り線)は、登坂車線を利用しなければ進入することができない。また、本線合流と同時に登坂車線も消滅する。川口方面(上り線)も登坂車線から進入するようになっている。下り線は当SAから約100km先の長者原SAまでSAがないが、途中にガソリンスタンドのあるPAが2か所(菅生PA、鶴巣PA)ある。インフォメーション・FAXサービスは終了した。
 
 …と、こんなSAでありました(^.-)☆
 
 朝食後、SA内をノンビリと散策してみましたけど、特に何にもありませんでしたねぇ(^-^)

 

 

 

 

 

 国見SAではユックリと過ごしましてからは、またバス車内。
 1時間15分程度経ましたでしょうか…仙台市内にあります今回の最初の訪問寺「孝勝寺」にと到着です。時間は、丁度、A.M.8:00。
 
 ■孝勝寺
 
 孝勝寺(こうしょうじ)は、宮城県仙台市宮城野区榴岡にある仏教寺院である。山号は光明山。日蓮宗の本山(由緒寺院)である。
 
 寺の名は大仙寺(だいせんじ)、全勝寺(ぜんしょうじ)、善勝寺(ぜんしょうじ)と変遷した。孝勝寺の名は、江戸時代の仙台藩第2代藩主・伊達忠宗の夫人・振姫の法名「孝勝院」にちなむ。
 
 ◆概要
 
 永仁3年(1295年)日門により創建と伝えるが、確実な史料で確認できるのは江戸時代に下る。柳町に続く柳町通の東の延長、孝勝寺前という通りの突き当たりで、榴ヶ岡の近く、仙台城下町の東縁にあった。寺の場所は変わらないが、寺域は往時より縮小して市街地になっている。
 
 2代藩主伊達忠宗の正妻振姫、3代綱宗の側室で4代綱村の母三沢初子が帰依し、以後仙台藩の厚い保護を受けた。三沢初子は江戸時代の歌舞伎『伽羅先代萩』の登場人物政岡のモデルと信じられ、その墓は「政岡の墓」として知られ、寺から東に少し離れた飛び地にある。
 江戸時代には末寺、子院多数を持ち、子院のうち3つ、妙音院、法輪院、蓮香院は独立した寺院として隣り合わせている。現住は55世谷川日清貫首(石巻市久円寺より晋山)。潮師法縁。
 
 ◆歴史
 
 寺伝によれば、永仁3年(1295年)、日蓮の弟子・日門が大仙寺を創建したのが始まりである。日持が奥羽巡教に発したとされるのが同じ年で、大仙寺にも足をとどめて教勢を盛んにしたという。伊達政宗はたびたびこの寺で祈願し、勝利を得たため、寺の号を全勝寺と改めさせたという。
 
 隆盛のきっかけは伊達忠宗の正室・振姫の帰依にあり、慶安2年(1649年)春に火災で焼失すると、忠宗の指示でいっそう大規模に再建された。寺伝には再建は慶安3年(1650年)に忠宗夫人によるとも言う。万治2年(1659年)に孝勝院と呼ばれた振姫が葬られると、子の伊達綱宗が寺の名を孝勝寺と改めさせた。
 
 綱宗の側室で幼い藩主・亀千代(綱村)の養育にあたった三沢初子も孝勝寺に帰依した。綱村は寛文元年(1661年)に孝勝寺を増築、拡張し、500石の寺領を与えた。貞享3年(1668年)に初子は亡くなり、孝勝寺に葬られた。綱村は母の持仏である釈迦如来像を祀るため、近くの榴ヶ岡に釈迦堂を建立し、孝勝寺に管理させた。釈迦堂は後に移転して現在は孝勝寺の境内にある。
 
 振姫、初子両人の追善供養の法事は、江戸時代を通じて伊達家の年中行事の一つとなっており、藩士が奉仕した。また、藩が作った寺格という寺院の序列の中で、孝勝寺は御一門格という最高の格に位置づけられた。当時は僧員百余人を抱えていたという。
 
 …と、仲々由緒有ります孝勝寺でありました(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

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