2014年 中村講中の皆様と石川〜新潟県方面へのお寺詣り(^.-)☆ <4/10>

 

 

 昼食を終えますと、次は石川県羽咋市にあります「妙成寺」へと向かいます。
 バス車内では相変わらずズッと睡眠のGONsanですから、どんなルートで向かいましたのかはサッパリ(^-^)
 多分、北陸道を金沢まで走行し、金沢西ICで降り日本海岸沿いを能登半島方向に向かったものと思います。
 
 眼が醒めました時には、窓の外は降雨でありました。
 
 ◆妙成寺
 
 妙成寺(みょうじょうじ)は、石川県羽咋市にある日蓮宗の寺院。山号は金栄山(きんえいざん)。日蓮の孫弟子に当たる日像が開祖。日蓮宗の北陸本山で、能登随一の大伽藍をもつ。本堂、五重塔、祖師堂、経堂など10が国の重要文化財に指定されている。塔頭が五寺ある(玉寿寺、善住寺、大鏡寺、円融寺、本覚寺)。
 
 ◆歴史
 
 寺伝によると、永仁2年(1294年)、日像は、師命により京都に妙法を布教するため佐渡から七尾へ渡る船中、石動山天平寺の座首満蔵法印(乗微)と法輪を交わした。満蔵法師は法華経に感銘を受け、石動山に日像を招き、全山衆徒の前で法華の教えを説いた。ところが、衆徒は日像の説法に罵言を吐き、暴徒化し二人を襲った。二人は急いで下山し、命からがら滝谷へと逃げ延びた。
 
 日像は鎌倉より携えていた槐の杖を地面に挿し、「この杖より根が生ずるなら、汝この地に法華の寺を建立すべし」と満蔵法印に言い残して京都に向かった。 まもなく杖より根が生え始めたので、満蔵法印は日乗と名を改め、叔父の滝谷領主柴原法光の助力を得、開山を日像、自らを第二祖として妙成寺を建立した。
 
 天正10年(1582年)、能登国の太守となった前田利家から寺領の寄進を受け、また、慶長8年(1603年)、利家の側室寿福院(三代藩主前田利常の母)の帰依を受け、その菩提寺になるなど加賀藩前田家から手厚い庇護を受け、隆盛を極めた。その後、七堂伽藍が完成し、寛永8年(1631年)には、加賀藩3カ国の日蓮宗の総録所(触頭)となった。
 
 現住は67世藤井日恵貫首(塔頭玉寿寺より晋山)、通師堀之内法縁。
 
 ◆文化財
 
 ・重要文化財(建造物)
 
 本堂 -- 慶長19年(1614年)建立。桁行(正面)五間、梁間(側面)五間、入母屋造、?(こけら)葺。棟梁は前田家御用大工坂上又三郎。(「間」は長さの単位ではなく柱間の数を表す建築用語。以下の項目についても同じ)
 五重塔 -- 元和4年(1618年)建立。方三間、栩(とち)葺。
 祖師堂 -- 寛永元年(1624年)建立と伝える。方五間、単層入母屋造。寺の説明には寛永元年建立とあるが、様式的にはややさかのぼる安土桃山時代頃の建築と思われる。
 経堂 -- 寛文10年(1670)建立。桁行五間、梁間三間、一重寄棟造、棧瓦葺(当初は?葺)。
 書院 -- 万治2年(1659年)建立。桁行七間、梁間七間、一重寄棟造。
 鐘楼 -- 寛永2年(1625年)建立と伝える。桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、?葺。
 三光堂 -- 元和9年(1623年)建立と伝える。方五間、単層入母屋造。
 三十番神堂 -- 慶長19年(1614年)建立。三間社流造、?葺。
 二王門 -- 寛永2年(1625年)建立。三間一戸楼門、二階建入母屋造、棧瓦葺。
 庫裡 -- 文禄2年(1593)建立と伝える。桁行九間、梁間五間、一重正面切妻造。妙成寺最古の建造物。
 
 ・重要文化財(美術工芸品)
 
 山水蒔絵机
 山水蒔絵料紙箱
 
 …と、こんな古刹で有りますが、金沢の観光名所の一つなのかも…入りますのに拝観料が必要でしたから(^.-)☆
 とにかく、降雨の中をお詣りとなりました(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本堂でのご開帳・読経後は、あいにくの降雨ではありましたけど、ご住職のご案内で、境内の桃山時代の雄渾華麗な面を建築上遺憾なく発揮していると云われる建物を拝観となりました(^_^)v

 

 

 

 

 

 

 

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