2015/06/19〜2015/06/21 中村講中・身延山夜行3日間参拝の旅 <3/11>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あじさい寺と呼ばれるだけありまして、さすがに数々のアジサイは大変キレイでありました(^.-)☆
 天候次第では、この方向に雄大な富士山も眺望出来ますのでしょうけど、例え晴天ではありましてもこの時期の富士山はモヤがかかっておりますから、やっぱり眺望は無理なんでしょうねぇ〜

 富士山を背景にアジサイをパチリ…残念ながら、そぅはいきませんでしたねぇ(^-^)//"

 

 

 

 

 

 アジサイ寺・小室山妙法寺へのお詣りを終えますと、朝霧高原経由で北山本門寺へと向かう事となりました(^.-)☆
 上九一色村を通り抜けていますと、もぅ何年前の事になりますでしょうか…オウム真理教の事件を思い出してしまいます。既に20年近く昔の事になりますでしょうか…


 上九一色村を抜けまして暫く経ますと、右手に精進湖(しょうじこ)を眺めながらの走行です。
 湖水にはボートが止まり釣り人が…何を釣っておられますのでしょうねぇ〜


 ◆精進湖

 精進湖(しょうじこ)は、山梨県南都留郡富士河口湖町にある湖。富士五湖のひとつで、西から2番目、東から4番目にあたる。富士箱根伊豆国立公園の特別地域内にある。

 ・概説

 同じ富士五湖の西湖、本栖湖と同一の水脈を有しているので水面標高も同じく約900mで、湖水の水位が連動する傾向がある。最大水深は15.2mで河口湖と並び3番目の深さ。0.5平方キロメートルと五湖中でもっとも湖水面積が狭く、流入河川および流出河川はない。
 2013年(平成25年)6月22日、「富士山--信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産(富士山域)の一つとして、世界文化遺産(日本の文化遺産としては13箇所目)に登録された。

 ・成因

 富士山の火山活動によって形成された堰止湖で、本栖湖・西湖と同じ水位であり、かつては単一の大きな湖(?の海;せのうみ、「背の海」の意か)であったと考えられているが、富士山の溶岩流でまず南西の本栖湖と分断され、『日本三代実録』に拠る864年(貞観6年)の貞観大噴火の溶岩流によって西湖と分断された。

 ・名前の由来

 精進湖という湖名は、富士参詣者が湖で沐浴して精進潔斎したことに由来する説や、(かつての単一湖「せの海」という名称も関連し)富士の背にあたることから「背地」(せのち)と呼ばれたとする説がある(『甲斐国志』による)。

 ・水質と生物相

 栄養湖でプランクトンが多く、湖色も緑色。1930年代の調査でも富栄養化していたがそれ以降も富栄養化は進行しているため、透明度は3m程度で有る。赤潮が発生することもある。ヘラブナやワカサギ、ブラックバス、タニシなどが生息している。

 …と、WEB上にはこんな記載がありましたけど、ヘラブナやワカサギ、ブラックバス等が釣れますのかも(^_^)v

 朝霧高原には小室山妙法寺を出ましてから1時間20分を要し到着です。
 トイレ休憩を兼ねまして、ここでは20分ばかりユックリ出来ましたネ。


 ◆「道の駅」朝霧高原

 「道の駅」朝霧高原は、雄大な富士山を背景に緑輝く草原が広がり、周りは多くの観光資源に恵まれ、古くは静岡と山梨を結ぶ「塩の道」であった一般国道139号線沿いに位置しています。牛舎風デザインと牧歌的イメージで整備され、地元の特産品などもあり、自然とのふれあいや思わぬ発見が期待されます。


 …と、「道の駅」朝霧高原のホームページには記載。
 ここでもまた、当然のことですけど、残念ながら富士山は見えませんでしたネ(^.-)☆

 

 

 

 

 朝霧高原でのトイレ休憩を終えますと、次は今回の旅三ヶ寺目の北山本門寺へのお詣りです。

 ◆北山本門寺

 北山本門寺(きたやまほんもんじ)は、静岡県富士宮市北山にある日蓮宗の寺院で、同宗の七大本山の1つ。日興の法脈を継承した富士門流に属し、静岡県の駿東地方に分布する西山本門寺、大石寺、下条妙蓮寺、小泉久遠寺とともに同門流の「富士五山」を構成する。また、さらに京都要法寺、伊豆実成寺、保田妙本寺とあわせて「興門八本山」のひとつにも数えられる。正式呼称は法華本門寺根源。山号は富士山。他の通称に重須本門寺がある。

 ◆開創沿革

 当山は通称「重須本門寺」と申し、今から七百有余年の昔、日蓮大聖人の直弟子、白蓮阿闍梨日興上人により開創されました。
 日蓮大聖人滅後、身延山祖廟は輪次守塔制(輪番)が敷かれ、日興上人は身延山を本拠地として甲斐駿河の伝道にあたられました。宗祖七回忌の正応元年(1288)十二月、身延を下山。南條時光の屈請により上野へ移られ、同三年十月、大石ヶ原に草庵を結ばれましたが、日興上人は重須丸山の風光をこよなく愛され、重須石川能忠、上野南條時光の両地頭より土地の寄進をうけました。そこで上野および小泉法華講衆の協力を得て、永仁元年(1293)起工。同六年(1298)、本堂・御影堂・垂迹堂の三堂落成。日蓮大聖人の誓願である本門戒壇建立の根源として『法華本門寺根源』の額を掲げられました。当山に三十六年間おられた日興上人は重須談所を興して後進の育成に努め、元弘三年(1333)二月七日、八十八歳で遷化されるまで、御題目の流布に努められました。
 なお、永年にわたり富士門流(本門宗)の総本山でしたが、昭和十六年(1941)日蓮宗・本門宗・顕本法華宗の三派合同により、現在の日蓮宗が誕生し、七大本山の位に列せられております。


 …と、こんな歴史のあります北山本門寺。
 WEB上で検索してみますと、こんな興味深い記述もありましたネ(^.-)☆

 ◇近くて遠い北山本門寺

 北山本門寺は、総本山大石寺の東方2キロ程度離れた地に位置する、日興上人ゆかりの深い寺院です。
 この寺院の起源をさぐれば、正応3年(1290)大石寺を開創された日興上人は、間もなく大石寺の経営を第3祖日目上人に委ねられ、自らは大聖人の仏法を正しく伝える竜象を育てる目的で、永仁6年(1298)、富士上方重州郷の地に移り、御影堂を建立して談所を開かれました。北山本門寺の淵源です。

 このように、重州の寺は当初から日興上人が子弟を育成される談所という目的で建立されたのですが、日興上人御遷化の後、時代が下るにしたがい重州の僧俗は一箇寺として独立する道を歩み、「本門寺」と名乗るようになりました。(後に日代の開いた西山本門寺と区別するため、重州は北山本門寺えお称される。)

 日興上人が御影堂を開かれた当初は「重州」「重州の寺」と称されていたようで、古文書によれば「北山」という呼称は、やや後になって今川氏が駿河を支配した大永・天分年間の文書に(16世紀初頭)に多く使われています。

 さて、北山本門寺は日興上人の御遷化の後、行儀の上で次第に軟化の道をたどり、日興上人の御精神・信条をないがしろにする謗法行為を重ねるようになり、大石寺とは距離的に近くにあるとはいえ、次第に遠い存在になっていきました。
 北山本門寺の誤りの始まりは、大聖人の御遺命として広宣流布の暁に建立すべき本門寺を、日興上人御遷化の後、それほど時代が下らない時期に寺号として名乗ったことが挙げられます。本門寺建立については、日興上人に与えられた『一期弘法付嘱書』に、「国主此の法をたてらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」〜新1675〜と見られます。すなわち、為政者が正法に帰依して、広宣流布となった暁に富士山に本門寺を建立し、そこに大御本尊を御安置し奉り、本門戒壇を築くべしとの御遺命を、日興上人に託されたことは明らかです。

 この御遺命を日興上人は謹直に受けとめられ、何とか実現したいとの思いを懐かれていたのは言うまでもありません。日興上人自ら、あるいは日目上人を初めとする弟子により度々為された国家諌暁は、その具体的な実践でした。
 しかし、そのような努力を受け継ごうとはせず、北山の僧俗は、日興上人御遷化の後、広布という条件が少しも整わないまま、自ら居す重州の寺のみをもって、「本門寺」と寺号を安易に公称しました。
 それが今日まで改められることなく続いていることは、「本門寺の戒壇」建立を悲願とされた、日興上人の御意志を拝するにつけ、かえすがえすも残念と言わざるを得ません。

 こうして、北山における上代の僧俗の誤りは、そのまま重州一門の濁りとなって後代に影響を及ぼしていきました。

 戦国時代には、西山本門寺と対立する中で、西山日春の意を受けた武田の軍勢により、日興上人の唯一正統を証する二箇の相承書等の宝物が、北山より奪取されました。その後、二箇の相承書は、甲斐武田の滅亡とともに行方不明になってしまうという、悔やみきれない不祥事となりました。

 江戸時代初期には幕府の宗教統制のもとに、北山は俗化した鬼子母神信仰なども取り入れ、法華経一部読誦、色衣香衣の着用、さらに本尊書写の化儀を乱すなどの謗法の風は著しく、この点を大石寺より破折されると、北山は対抗手段として自賛毀他の制法に触れるとして大石寺を幕府に訴えています。
 この頃の北山は、三代将軍家光の側室お楽の方の安産を祈願し、謝礼として色衣を賜ったことを機に、全山を色衣に変えるなど、謗法の制誠に頓着することなく、幕府権力に阿諛迎合する姿勢は著しいものがありました。
 しかし、その応報というべきか、山主の謗法姿勢に無言の抵抗をする形で、学頭日然の付け火により、三内の諸堂宇が次々と焼失するという、災難に遭ってます。

 同じく江戸時代のことですが、幕府の裁定を得て、讃岐本門寺(本宗寺院)を強引に末寺として配下に置いてしまう事件も起こしています。この事件の発端は、讃岐本門寺の僧が日興上人の御正墓があるという理由で、北山にたまたま参詣し、本尊を下附されたことがありました。その事実を逆手に取って、讃岐本門寺を末寺にしようと画策、幕府に訴訟を起こしてこれに勝ち取ったのです。その結果、讃岐本門寺は明示になるまで北山の末寺とされ、寺号まで「法華寺」と変えられ悲哀を味わった時代を過ごしました。

 このように、江戸時代における北山本門寺は、宗勢の維持・拡大を幕府権力に強く依存する反面、様々な形の謗法行為を行い、日興上人の精神を重んじる富士門流としての気概を失った足跡を残しています。

 明治に入ると、京都要法寺より玉野日志を貫主に招いて、新時代における宗勢発展を図りましたが、日志は着任するやすぐに大石寺に対して、本門戒壇の大御本尊や宗祖御灰骨・『日興跡条々事』の内容に関することなどを俎上に挙げ、疑難・誹謗を浴びせてきました。これに対して総本山第五十世日布上人が反論されましたが、さらに御隠尊日霑上人(大石寺第五十二世)より鋭く破折が加えられ、双方より数度の応酬がありました。後に霑志問答と呼ばれています。
 日霑上人よりは、いわゆる北山の地を「本門寺根源」と主張する思想が日興上人の時代には無く、後につくられたことなどの非法行為が鋭く指摘されています。
 また、日志が俎上に挙げた「宗祖の御真骨はいまだ身延にある」とする主張ひとつとっても、日興上人が身延を離山された御事跡をどのように考えているのかを問わざるを得ない、およそ富士門流に身を置く者の発想とは思えません。

 こうして北山の謗法姿勢は、昭和になって、行き着くところまで行ってしまった観があります。
 すなわち昭和14年に宗教団体法が公布され、日蓮宗各派が合同を迫られた時期がありました。この時の大石寺は、御影堂で僧俗護法会議を開いて宗派の独立を決議し、日興上人の謗法厳戒の精神を貫きました。
 しかし、北山は「祖廟復帰」、すなわち身延山に宗祖大聖人の御正墓があるので、そこへ帰ることが大事であるとの主張を大義名分に、あろうことか身延日蓮宗と顕本法華宗とが合同したところへ、自らも身を寄せて合同することを決し、身延より住職として片山日幹を迎えています。

 北山は、この結果、日興上人の精神を貴ぶ富士門流としての気風も気概も、山内より一掃してしまったごとく体たらくとなり、そのまま今日に至っています。
 ただ、近年においては、富士門の流れを汲む北山末寺の僧が北山本門寺の住職に就任し、合同以来身延延流になってしまった北山の行儀を、富士門流のそれに戻そうと努力をしているとも聞きますが、直末や根檀家に同調者を求めることすら難しいようです。ひとたび身延の謗法に身を染めた事実は、これを元に戻すには至難の業となることを痛切に感じていることでしょう。


 以上のような経過をたどったのが、北山本門寺の通史です…
 ふん、ふん、色んな難しい問題を現在も抱えておられますようですねぇ(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 北山本門寺でのお詣りを終えますと富士宮で昼食タイム。
 そして、昼食後には今回の旅で4ヶ寺目の實相寺へのお詣りです(^.-)☆

 ◆実相寺(富士市)

 実相寺(じっそうじ、實相寺とも表記)は静岡県富士市岩本にある、日蓮宗の本山(霊蹟寺院)。山号は岩本山。

 ◆概要

 天台宗の智印法印は三間四面の堂を建立し、如意輪観音を安置して実相寺と号し、鳥羽法皇の御願寺とした。円珍が唐より招来した一切経を格護する、天台宗の古刹であったという。村山修験の祖・末代は、時の住持・智印法印(阿弥陀上人)に師事した。
 日蓮が訪れ、経蔵に入り一切経を閲読し、立正安国論を著した。その後、多くの学徒が日蓮に師事し、弟子となった。
 現住は70世豊田日穂貫首(台東区上聖寺より晋山)。達師法縁(繁珠会)。

 ◆歴史

 1145年(久安元年)鳥羽法皇の勅命により、天台宗の智印法印は実相寺を建立する。
 1258年(正嘉2年)日蓮が入寺する。
 1276年(建治2年)学頭・智海法印により、日蓮宗に改宗し、智海法印は日源と改名する。
 1568年(永禄11年)武田氏の侵攻により、焼失する。その後、再建する。

 ◆文化財

 木造仁王像(富士市指定有形文化財)
 一切経蔵(富士市指定有形文化財)
 平成16年と平成19年に行なわれた、立正大学の調査によって宋版一切経と天海版一切経であることが明らかになった。宋版一切経は、6,000巻中4巻の残存が確認された。天海版一切経は、6,174巻1,432経が588箱に収められていた。円珍が唐より招来した一切経は、実相寺衆徒愁状によると「5,000余軸の経巻、鎌倉に召し取られる」とあり、鎌倉へ持ち出されていた。もしくは、武田氏の侵攻により、焼失したようである。


 …と、こんな由緒あります実相寺。GONsanは今回が二度目のお詣りとなりますでしょうか…

 

 

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