2015/05/02-05/03 第72回 尾道みなと祭 <6/8>

 

 

 

 

 小雨がパラつき始めました千光寺公園を散策となりましたけど、この小雨が決行涼しさを(^-^)
 ツツジの景観も大変キレイ(^_^)v

 散策を続けておりますと、「泰秀椿」の表示板が。
 この椿の名前なのかも分かりません。が、後日、WEB上で「泰秀椿」を検索しましても、何にも出て来ませんでしたネ。『泰秀椿 昭和60年10月 尾道商工会議所 婦人会』と表示されておりましたけど、分かりませんだけに未だにヤケに気になりますねぇ(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 小雨のパラつく中を尾道城方向に散策しておりますと、お城の手前に像が…
 どなたの像なのだろう…と近付きますと、「土屋寛翁像」の刻印が(^-^)


 ◆土屋寛

 土屋 寛(つちや ゆたか、1880年(明治13年)12月10日- 1950年(昭和25年)11月12日)は、衆議院議員(立憲民政党)、尾道市長。

 ・経歴

 広島県御調郡栗原村出身。御調郡書記を務めた後、1909年(明治42年)に栗原村の村長に選出され、町制施行後も町長を務めた。また、広島県 会議員に選出され、県会の郡部会議長にも就任した。
 1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に出馬し当選。当選回数は合計で4回を数えた。その間、1940年(昭和15年)から 1942年(昭和17年)にかけて尾道市長を務めた。


 …と、WEB上で検索致しますと、こんな記載がありました(^.-)☆

 そして、尾道城でありますが、


 ◆尾道城

 尾道城(おのみちじょう)は、1964年(昭和39年)に博物館として建てられた、広島県尾道市にある千光寺公園の天守閣風の建築物である。

 ・概要

 近世の城の天守を模した建築物であり、歴史的な価値は無いが、外観は城であるためにその呼び名がある。
 市内には戦国期の城跡はあるが、隣りの福山市の福山城天守(戦災で焼失、昭和41年復元)の影響を受け、昭和39年(1964年)に尾道商工会 が観光事業の一環として外観の一部を弘前城天守に模した施設「全国城の博物館尾道城」として建設した。
 建築は鉄筋コンクリートの三層三階、望楼型の体裁を取っている。尾道駅の北側の丘陵上に立地し、目立つこともあり尾道市のシンボル的な存在に なったが、歴史的な背景が全くないためにむしろ景観を汚すものであるという意見もあり、建築当初から厳しい論争にさらされた。
 1990年代に閉鎖。その後は廃墟化している。尾道市ではこの建築物の今後の利用法に関して議論をしているが、結論は出ていない。


 GONsanが中学3年生の時に建設されたのですけど、今は立ち入り禁止のようですねぇ〜
 現在は廃墟と化しているようですけど、ふ〜ん、今後どぅなりますのでしょうねぇ〜
 歴史的な価値はありませんけど、もぅ永年、尾道のシンボル的存在でもありますから、今後の取り扱いには苦慮されます事でしょうネ…

 

 

 

 

 

 

 

 千光寺公園をノンビリと散策後には、千光寺に向かう事となりました。

 ◆千光寺(尾道市)

 開基(伝) -- 空海
 正式名 -- 大宝山 権現院 千光寺
 札所等 -- 中国33観音10番

 千光寺(せんこうじ)は広島県尾道市東土堂町の千光寺公園内にある真言宗系の単立寺院。山号は大宝山(たいほうざん)。
 本尊は千手観音。中国三十三観音第十番札所、山陽花の寺二十四か寺第二十番札所である。
 境内からは尾道の市街地と瀬戸内海の尾道水道、向島等が一望でき、ここから取られた写真がよく観光案内などに使用されている。

 御詠歌:みなひとの 衣のうらの たまわそも 仏ともなる 宝なるらむ

 ◇歴史

 寺伝によれば大同元年(806年)に空海(弘法大師)によって創建され、源満仲(多田満仲)によって再興されたというが確証はなく、中世以前の 寺歴は判然としない。戦国時代には備後国御調郡木梨村木梨城主の杉原元恒がこの地に出城を築いている。


 尾道みなと祭りも開催されておりまして、この日の参拝者は大変多かったですネ(^.-)☆

 

 

 

 

 

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