2016年 友人が災害調査で今度は宮崎へ… <1/2>

 ■2016年10月07日
 友人が、災害調査で今度は宮崎へ…


 災害調査で各地に出かけています友人が、今度は台風16号の被害調査で、10/3から1~2ヶ月ばかり宮崎行きとなりましたようです。
 4/21~6/20間の丁度2ヶ月間、地震の被害調査で熊本に出かけておりました友人ですけど、またまた九州行きなんですねぇ~

 熊本滞在中には、早朝散歩・休日等を利用し撮られました熊本周辺の画像を届けて頂きましたけど、今度は宮崎からの画像を届けて貰えそぅですねぇ(^_^)v
 で、早速、届けて頂きましたのが挿入の画像なんです(^.-)☆

 >お早うございます。
 >ひさしぶりに太陽が上がりました。
 >やっぱり宮崎には太陽が似合いますね…宮崎は空気が新鮮に感じます。

 との事で、画像の時計台の時刻を見ますと、6:25です。と言う事は、早朝散策時の南国らしさが漂います宮崎駅前の景観ですねぇ~
 業務遂行で、あまり時間的余裕はありませんのかも分かりませんけど、宮崎から届きます画像は、例えどんなモノでありましても嬉しいですねぇ~そして楽しみであります。
 さて、次回届きます画像はどんなのでしょうねぇ~
 GONsanは、こんな日常的な、ごく普通に眼に入ります景観は結構好きですから、早朝散策時の景観を楽しみに待ちたいと思います(^-^)//"

 

 

 

 宮崎から届きました友人からの画像・第二弾も、早朝の散策時に撮られたものでありました(^.-)☆

 >お早うございます
 >ホテルは宮崎第一ホテルです
 >今年リニューアルしたと言うことでまずまずです♪♪
 >有り難いのは朝食がついてサウナがあり
 >入る前に生ビールと焼酎が試飲できる事です♪♪

とは、確かに有難いし嬉しいですねぇ~

 そして、今朝は、宮崎第一ホテルを出まして北上で、真栄寺・宮崎神宮方向への散策となりましたようですネ(^.-)☆

 ◆真栄寺

 真栄寺(しんえいじ)は宮崎県宮崎市にある浄土真宗本願寺派の寺院である。
 JR日豊本線「宮崎神宮」駅から670mほどの所にある。宮崎神宮は神武天皇を祀る神社である。また、近隣に、NHK宮崎放送局の搭が聳える。

 1913年(大正2年)真住栄(ますみえい)が創建したと云われる。
 京都で廃寺となった玉昭寺の本尊を迎え建立したとされる。
 山門には「真栄寺 祝 開教100周年」「平成26年4月20日法要 修行」の文字を掲げる。

 山門を潜ると鐘楼、本堂と続くがモノトーンの五重塔が印象的である。
 搭は鉄筋コンクリート造り、高さ29m、納骨堂として建立したといわれる。一軒繁垂木の本瓦葺三間五重塔婆形式である。


 …と、こんな真栄寺のようであります(^.-)☆

 ◆宮崎神宮

 宮崎神宮(みやざきじんぐう)は、宮崎県宮崎市神宮にある神社である。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。

 ・社名

 歴史は古く、「神武天皇宮(社)」、「神武天皇御廟」などと称されたが、明治6年(1873年)に「宮崎神社」と改称し、更に同11年「宮崎宮」と改称、大正2年(1913年)に神宮号が許可されて現社名となった。地元では「神武さま」と呼ばれ親しまれている。

 ・祭神

 神日本磐余彦尊(神武天皇)=ヤマト・イワレヒコ=を主祭神とし、父神鸕鷀草葺不合尊と母神玉依姫命の2柱を配祀する。

 ・由緒

 社伝によれば、鎮座地は神武天皇が東征以前に宮を営んだ地で、後に九州に下向してきた皇孫の建磐龍命(阿蘇神社の祭神)がその縁に因んで創祀したといい、崇神天皇の時代に初めて社殿が創建され、景行天皇の熊襲征討に際して重ねて造営がなされ、更に応神天皇の時代からは『国造本紀』に載せる日向国造の祖、老男命(おいおのみこと)が祀るようになったと伝える。

 古くから鎮座していたのは確からしいが上古の由緒は不明で、文献上の初見は鎌倉時代初めまで降り、当地の地頭職にあった土持信綱が現在地に社殿を造営し、皇宮屋(こぐや)(現 境外摂社)から建久8年(1197年)に遷座したという記録である。
『神皇正統記』に神武天皇が「日向の宮崎の宮」から東征したと記すように、中世には東征以前に宮崎に帝都があったとする説も定着し、当宮をこれに充てるようになったと思われ(『古事記』に載せる高千穂宮(高千穂神社)に擬する説もある)、以後神武天皇に対する崇敬から、歴代の領主により深く崇敬された。

 文明5年(1473年)に伊東祐国が蓮ヶ池(現宮崎市村角町)と下北方(同下北方町)の一部を奉献したのを始め、永禄3年(1560年)に有馬永純が社領として2石5斗を寄進、同5年(1562年)には伊東義祐が下北方・江平(現宮崎市江平町一帯)から領地を割いて奉献、更に天正5年(1577年)には島津義久が米穀や幣帛を奉献している。

 江戸時代には、延岡藩が当地を所領し、寛永21年(1644年)藩主有馬康純が社殿を造営、天保10年(1839年)にも藩主内藤政義による修造が行われている。もっとも、神武天皇を祀る古社とはいえ、江戸時代までは地方の1古社に過ぎず、当宮が広く全国的に知られるようになったのは、明治維新の王政復古の大号令で「神武創業の始め」に復することが唱導され、当宮が脚光を浴びるようになってからである。

 明治6年に 県社と定められた(この時宮崎神社と改称。「社名」節参照)が、神武天皇の最初の宮地であるとの伝承から特別の待遇を受けるようになり、同8年に国幣中社、同18年には官幣大社へと累進した。同32年には総裁を二条基弘、会長を島津忠亮とする「神武天皇御降誕大祭会」が組織され、高木兼寛が幹事長となって全国から寄付金を集めて境内整備を行い、同40年にほぼ現在の姿となったが、更に昭和15年、紀元2600年を記念した拡大整備事業(その規模は橿原神宮に次いで全国2位であったという)で、現在の境内が完成した。戦後は神社本庁の別表神社となり、現在に至っている。


 …と、WEB上にはこんな記載。
 よく分かりませんけど、GONsanなんぞには、『日本の初代天皇「神武天皇」をまつる立派な神社』程度の認識しかありませんけど、さて、どぅなんでしょうねぇ~

 

 

 うん、うん、宮崎出張中とは言いましても昨日・今日と、お休みのようですねぇ(^.-)☆
 連休初日の昨日は降雨でしたようですけど…

 で、連休2日目の本日は天候にも恵まれまして、早速、各地観光にとなられましたようですネ(^_^)v

 まず最初に届きました画像は、いつものように早朝散策時の画像でありました(^-^)
 宮崎北警察署の正面入り口の景観です。
 そして、次に届きましたのが宮崎育成牧場入り口の景観でありました。

 んっ、宮崎育成牧場!?
 何なんでしょう?早速、WEB上で検索です。すると、こんな記載がありました(^.-)☆

 ◆宮崎育成牧場について

 宮崎育成牧場は、宮崎市のほぼ中央、JR日豊本線沿いに位置し、温暖な気候条件を生かして競走馬の育成を行いながら、「馬のいる公園」としても施設を一般開放しています。かつてこの場所は宮崎競馬場として、明治40年から昭和38年まで競馬が行われてきました。途中、戦争激化により昭和18年に国営競馬が中止となりますが、終戦後は昭和38年まで地方競馬が開催されてきました。

 競走馬の育成業務は昭和31年の抽せん馬事業開始にともない始められ、その後現在に至るまで九州地区におけるモデル牧場として、JRAの育成技術および研究成果の普及拠点としての役割を担ってきました。競馬場時代の一等馬見所(グランドスタンド)は、今でも保存されており、当時の名残がいまだに感じられます。
 一般に、日本のサラブレッドは春に北海道で生まれ、翌秋(1歳秋)に騎乗馴致を開始、1歳冬から2歳春にかけて乗り運動を行い、2歳夏に競走馬としてデビューします。近年、北海道においても屋内調教施設が充実し冬季の調教が可能となってきましたが、この時期、厳しい寒さや降雪等を考えると、北海道は必ずしも競走馬を育成する上で最適の気象条件ではありません。
 一方、宮崎の気候は冬季の気候が温暖で、日照時間および快晴日数が全国でもトップクラスにあることが特色です。すなわち、この温暖な気候が競走馬を育成する上で、大きなメリットとなります。

 ここでは、降雪や馬場凍結がなく、年間を通じてカリュキュラムに沿った調教を、1周1,600mの広いトラックで行えることが特徴です。また、放牧地はエバーグリーンで、馬たちはイタリアンライグラスを、年間を通じて採食することができます。
 我々は、宮崎育成牧場からダービーをはじめ世界の舞台で活躍できる馬を輩出する大きな夢をもっています。そして、夢を夢で終わらせないために、2005年、我々の育成馬厩舎をビッグ・ドリーム・ステイブル(Big Dream Stables)と名づけ、その夢に向かってステップアップしていこうとしています。


 …と、こんな「宮崎育成牧場」のようですネ。
 自由に入れますようですけど、残念ながら開場時間は9:00~17:00。
 早朝散策ですから、中に入りますのは叶いませんようですねぇ(^-^)//"

 

 早朝散策を終え、朝食後は早速、宮崎観光へとご出発ですネ(^.-)☆
 まず向かわれましたのが、宮崎市から日南方向へと南下。青島行きとなりましたようですねぇ(^_^)v

 青島と言いますと、まず頭に浮かびますのが『鬼の洗濯板』。

 ◆青島(宮崎県)

 青島(あおしま)は、宮崎県宮崎市の南東部海岸付近にある周囲860m、面積約4.4ha、高さ約6mの島。陸繋島になりつつある。対岸は青島海岸と呼ばれ、青島海水浴場などを含む一大観光地になっている。青島と青島海岸とは弥生橋によって結ばれている。

 ・自然

 砂岩と泥岩が交互に重なった地層(油津層群)からなる山が沈降して海に浸かり、波に侵食された後にわずかに隆起することで「隆起波食台」と呼ばれる地形が形成された。
 規則的に重なった地層が緩やかな傾斜をなしているため階段状に侵食されており、巨大な洗濯板のように見えることから「鬼の洗濯板(岩)」と呼ばれる。

 宮崎県南部海岸には南西から北東に向かって黒潮が、同北部海岸には北から南へ沿岸流が流れており、これらの潮流によって貝殻の破片などが集められ隆起波食台上に堆積することで青島が形成された。珍しい地形であることから「青島の隆起海床と奇形波蝕痕」として日本国の天然記念物に指定されている。
 島では200種類以上の植物が確認されており、そのうち熱帯性及び亜熱帯性の植物が27種あり、北半球最北の亜熱帯植物群落である。
 中でもビロウの大群落は貴重であることから「青島亜熱帯性植物群落」として日本国の特別天然記念物に指定されている。本来ならば寒さにより枯死する高緯度の場所にこのような熱帯性及び亜熱帯性植物の植物群が存在する理由として、学者により二つの説が提起されている。

 一つは海着帰化植物説といい、島の沖を流れる黒潮によりフィリピンや沖縄方面から南方系の植物の種子や生木が漂着し繁栄したという説。もう一つは遺存説といい、第三紀前に日本で繁栄した高温に適する植物が気候、風土、環境に恵まれたこの場所に取り残され、今日まで繁栄したという説。現在では後者の遺存説が有力視されている。

 ・歴史

 島の中に青島神社があり、神聖な場所であるため祭日以外に一般人が立ち入ることは禁じられていたが、1737年(元文2年)以降、弥生(旧暦の3月)後半の一時期に限り一般人の参詣が許されるようになり、明治以降は年間を通して立ち入りできるようになった。
 昭和に入ると周辺の青島海岸に遊園地や海水浴場が整備され、ホテルが建ち並ぶ観光地になった。
 2003年(平成15年)において年間約70万人の観光客が訪れている。


 …と、こんな青島ですけど、本日は好天で絶好の行楽日和でありましたようですネ(^-^)//"

 

 

 

 青島の「鬼の洗濯板(岩)」を楽しまれましてから次の観光は、高千穂峡行きとなりましたようですネ(^.-)☆

 >残念ながら増水の為ボートに乗られませんでした
 >マァ台風の影響だから仕方がない

との事で、水面近くのボートから見上げますのは叶わなかったようですネ。

 ◆高千穂峡

 高千穂峡(たかちほきょう)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井にある五ヶ瀬川にかかる峡谷である。国の名勝、天然記念物に指定されている(五箇瀬川峡谷(高千穂峡谷))。

 ・概要

 阿蘇カルデラをつくった火山活動によって、約12万年前と約9万年前の2回に噴出した高温の軽石流(火砕流の一種)が、当時の五ヶ瀬川の峡谷沿いに厚く流れ下った。この火砕流堆積物が冷却固結し溶結凝灰岩となり、柱状節理が生じた。
 溶結凝灰岩は磨食を受けやすいため、五ヶ瀬川の侵食によって再びV字峡谷となったものが高千穂峡である。
 高さ80~100mにも達する断崖が7kmにわたり続いており、これを総称して五ヶ瀬川峡谷(高千穂峡)と呼ぶ。
 昭和9年(1934年)11月20日に名勝、天然記念物に指定された(「五箇瀬川峡谷(高千穂峡谷)」)。昭和40年(1965年)3月25日には祖母傾国定公園に指定された。

 ★真名井の滝

 真名井の滝(まないのたき)は、高千穂峡の川幅が狭まった部分に流れ落ちる滝である。日本の滝百選の一つ。
 峡谷の崖上は自然公園となっており、その中にある「おのころ池」より流れ落ちる水が真名井の滝となっている。
 神話によれば天村雲命(あめのむらくものみこと)という神が天孫降臨の際に、この地に水がなかったので水種を移した。これが天真名井として湧水し、滝となって流れ落ちているといわれている。
 夏季は午後10時まで滝周辺がライトアップされ幻想的な雰囲気を出している。

 ・観光

 「真名井の滝」付近は峡谷に沿って遊歩道が整備されており、「真名井の滝」や「仙人の屏風岩」、「槍飛橋」などを観光しながら高千穂神社まで歩いていくことができる。
 なお、「槍飛橋」から高千穂神社までは、悪路ではないが階段状の山道がつづくので歩く場合は歩きやすい靴や服装の方が良い。
 また、峡谷は貸しボートで遊覧できるようになっており、峡谷に流れ落ちる日本の滝百選の一つである「真名井の滝」の至近まで近づくことが出来る。
 夏には近くのお茶屋でそうめん流しが楽しめる。


 …と、こんな高千穂峡のようですネ(^-^)//"

 

 

 

 「真名井の滝」を後にされますと、次は天岩戸神社・天安河原宮をご訪問です(^.-)☆

 ◆天岩戸神社

 天岩戸神社は、宮崎県高千穂町に鎮座し、日本神話(古事記・日本書紀)の中に書かれております天照大御神様のお隠れになられた天岩戸と呼ばれる洞窟を御神体として御祀りしており、天岩戸神話の舞台となった場所でございます。
 岩戸川をはさんで西本宮と東本宮が鎮座し、両社とも天照大御神様を御祭神として御祀りしております。
 川上には八百萬の神々がお集まりになり、御相談をされた天安河原がございます。


 …と、WEB上にはこんな記載が(^.-)☆

 ◆天安河原宮

 ・御祭神
  思兼神(おもいかねのかみ)
  八百萬神(やおよろずのかみ)

 天岩戸神社西本宮から岩戸川に沿って徒歩で約10分、天照大神(アマテラスオオミカミ)が岩戸にお隠れになったさい、天地暗黒となり八百万(やおよろず)の神がこの河原に集まり神議されたと伝えられる大洞窟。
 別名「仰慕ヶ窟(ぎょうぼがいわや)」とも呼ばれています。
 以前は社のみがあり信仰の対象となっていたが、いつのまにか祈願を行う人たちの手によって石が積まれていくようになりました。現在では無数にある積まれた石が天安河原の神秘的かつ幻想的な雰囲気を一層引き立てています。


 …と、こんな天安河原宮。
 GONsanは高千穂峡に出掛けた事はありませんけど、友人から届きましたこんな画像を眼にしておりますと、いつの日か機会がありましたら、是非、出掛けてみたい気がします(^-^)//"

 

 

 

 

 連休明けに友人から届きましたのは、この画像でありました(^.-)☆

 >台風の被害が大きかったと言うのに
 >なんと椰子の木の強い事
 >どこを見ても1本も倒れていません
 >ちなみに画像はホテル前の通りです

と、こんなメッセージが付いておりましたけど、そぅそぅ、友人の今回の宮崎行きは「台風16号の被害調査」でしたねぇ~

 ところで、台風16号は、どんな台風でしたか…
 つぃ直近の台風は18号ですから…
 WEB上で検索してみますと、うん、うん、こんな軌跡の台風でしたネ(^-^)確か、東海沖で熱帯低気圧に変わりましたような…

 実にゆっくりとした進行の台風で、それだけに宮崎県内の被害は結構出ておりましたような記憶も。
 宮崎市内も強風が吹きまくったのでしょうけど、そぅなんですねぇ~こんなに細くて長い椰子の木は1本も倒れなかったのですネ…
 既に10月中旬ですから、もぅ台風の発生もないのでしょうけど…どぅなんでしょうねぇ~とにかく、台風の来襲は本年はこれで終わりであって欲しいものです(^-^)//"

 

 

 今日・土曜日もお休みで、観光の時間が取れましたのでしょうネ(^-^)
 今日は、こんな画像が届きました(^.-)☆

 まずは、“日南海岸ロードパーク”を走行し「鵜戸神宮」行きとなりましたようです。

 ◆日南海岸ロードパーク

 宮崎市から鹿児島県・志布志町までの150kmの海岸線が日南海岸国定公園に指定されており、その海岸沿いの国道220号、途中から448号が日南海岸ロードパークとして整備されています。
 日本ではじめてのロードパークだそうで、道路沿いヤシの木の並木や、季節の花々が咲き乱れ、景色がいい所にはいたるところに駐車スペースがあります。
 宮崎市から南下したのですが、左に水平線まで広がる海を見ながら運転するととても気持ちがよかったです。ちなみにロードパークとは(既存のオープンスペースを利用し、道路案内や休憩スペース等を提供することにより、道路利用者へのサービス向上と、ゆとりとうるおいのある沿道環境づくりを目的として整備されています。)だそうです。
 今では日本全国にあり、あまり細かなルールはないようです。


 …と、「日南海岸ロードパーク」を検索しますと、WEB上にこんな記載がありました(^_^)v

 ◆鵜戸神宮

 鵜戸神宮(うどじんぐう)は、宮崎県日南市にある神社である。旧社格は官幣大社で、現在神社本庁の別表神社に指定されている。
 日向灘に面した断崖の中腹、東西38m、南北29m、高さ8.5mの岩窟(海食洞)内に本殿が鎮座し、参拝するには崖にそって作られた石段を降りる必要があり、神社としては珍しい「下り宮」のかたちとなっている。

 ・社名

 「ウド」は、空(うつ)、洞(うろ)に通じる呼称で、内部が空洞になった場所を意味し、祭神名の「鸕鷀(う)」が鵜を意味するのに因んで、「鵜戸」の字を充てている。
 古くは「鵜戸権現」とも称されたが、明治元年(1868年)の神仏判然令によって権現号を廃し、翌2年「鵜戸神社」と改称、同7年に神宮号が宣下されて現社名となった。

 ・歴史

 創祀の年代は不詳であるが、古代以来の海洋信仰の聖地で、社伝によれば、本殿の鎮座する岩窟は豊玉姫が主祭神を産むための産屋を建てた場所で、その縁により崇神天皇の御代に上記6柱の神を「六所権現」と称して創祀され、推古天皇の御代に岩窟内に社殿を創建して鵜戸神社と称したと伝える。

 また、延暦元年(782年)、光喜坊快久という天台僧が桓武天皇の勅命を蒙って別当となり、神殿を再建するとともに、別当寺院を建立し、天皇より「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺(うどさんだいごんげんあびらさんにんのうごこくじ)」の勅号を賜わったとも伝える。
 平安時代以来、海中に聳える奇岩怪礁とも相俟って、修験道の一大道場として「西の高野」とも呼ばれる両部神道の霊地として栄えた。中世以後、伊東氏などの在地領主の崇敬を受け、永禄3年(1560年)に伊東義祐によって社殿が再興され、寛永8年(1631年)には飫肥藩主伊東祐実による造替、同18年(1641年)にも同藩主伊東祐久による修復が行われ、その後も正徳元年(1711年)に造替が、明和7年(1770年)に修復が行われた。

 明治元年(1868年)の神仏判然令によって別当寺院の仁王護国寺を廃し、1874年(明治7年)に「神宮号」が宣下されるとともに官幣小社に列し、1889年(明治22年)に社殿を改修、1895年(明治28年)に官幣大社に昇格し、戦後は神社本庁の別表神社となっている。

 1965年(昭和40年)、NHKの朝の連続テレビ小説『たまゆら』の舞台に宮崎が選ばれたことも手伝って、昭和40年代には新婚旅行の定番地となった。1968年(昭和43年)に本殿及び末社を修復したが、翌々1970年(昭和45年)、文政年間(1818~30年)に建てられた茅葺書院造の社務所を原因不明の火災により焼失し、それとともに古文書類の大半を失った。1997年(平成9年)に屋根の葺き替えと漆の塗り替えを施したのが現在の社殿である。


 …と、こんな鵜戸神宮のようであります。

 うん、うん、この建物は鵜戸神宮境内に存在します「儀式殿」ですネ。神門の次にくぐる門「楼門」の左側に存在します建物ですから、多分、儀式殿。

 ◆儀式殿

 儀式殿以前の社務所あとにある。
 結婚式や直会(祭りは晴であり、そこから日常に戻るため、神様に供えた物を参加者が頂戴する行事。)会場として使用している。

 ※ 天皇陛下が行幸された際の御休憩所もある。


 こぅして画像を拝見しておりますと、あまり天候は良くなかったのかも分かりません。福山市内は晴天で、日中は少々暑さも感じてしまいましたが、宮崎は曇天でしたのかも…
 天気が良ければ「日南海岸ロードパーク」の走行も、一層素晴らしかったのかも分かりませんネ(^-^)//"

 

 

 鵜戸神宮とお別れしましてからは、鹿児島まで足を伸ばされましたようですねぇ(^.-)☆
 次の訪問地は、「内之浦宇宙空間観測所」なんですねぇ(^_^)v

 ◆内之浦宇宙空間観測所

 科学衛星および科学観測ロケットの打上げ、観測を行う施設。鹿児島県大隅(おおすみ)半島の東海岸の一画、肝付(きもつき)町内之浦(うちのうら)にある。
 当初の名称は鹿児島宇宙空間観測所で、1962年(昭和37)に開設され、当時は東京大学生産技術研究所に属していた。
 1964年東京大学宇宙航空研究所創設とともに同研究所の付属施設となり、1981年宇宙科学研究所の設立に伴い、同研究所の研究施設となった。敷地面積71ヘクタール、所内に、ラムダロケット、ミューロケットなどの打上げ施設、管制施設、観測施設などがある。
 1970年に成功した日本初の人工衛星「おおすみ」をはじめ、太陽観測を行う「ようこう」など数多くの科学衛星、観測ロケットの発射実験が行われている。
 宇宙科学研究所は2003年(平成15)10月、宇宙開発事業団、航空宇宙技術研究所と統合し、新たな独立行政法人、宇宙航空研究開発機構となり、同時に同所は現名称に改称された。

 ◆JAXA内之浦宇宙空間観測所

 JAXA内之浦宇宙空間観測所は、1962(昭和37)年に東京大学生産技術研究所の付属施設として設置された世界でも珍しい山地に設置されたロケット発射場です。
 1970(昭和45)年、日本で初の人工衛星「おおすみ」を打ち上げて以来、大小400機近くの科学観測ロケット及び科学衛星の打ち上げを行い、それらの追跡・データ取得なども行っています。種子島のロケット発射場が液体燃料を使う大型ロケットを打ち上げるのに対し、ここでは固体燃料を使った比較的小型のロケットが打ち上げられます。

 平成2003(平成15)年5月9日には、小惑星「イトカワ」でのサンプル採取とリターンをミッションとした小惑星探査機「はやぶさ」もここ内之浦から打ち上げられており、その母港としても有名です。幾度のも困難を乗り越え2010年6月13日人類初となる小惑星のサンプルリターンに成功した快挙は今も記憶に新しいところです。

 ◆S-520ロケット

 S-520ロケットは宇宙科学研究所(現JAXA宇宙科学研究本部)の開発した観測用の単段式固体燃料ロケットである。S-520という名称は単段式の固体燃料ロケットで、直径が520mmであることを表す。

 ・概要

 制式観測機として主に利用されていたK-9Mを置き換える目的で計画された。単段式観測ロケットS-500として南極での利用も考慮され計画された。その計画を基に直径が520mmに変更され、開発されたのがS-520ロケットである。
 26機のうち23機が内之浦宇宙空間観測所から、3機がノルウェーのアンドーヤロケット発射場から打ち上げられた。派生型に第2段を付加したSS-520がある。

 ・技術的特徴
 単段式になったことで組立及び発射時の作業性向上がなされた。単段式にもかかわらずK-9Mの2倍の打ち上げ能力を実現している。

 ・推進系
 ミューロケットの第1段と同じ直填式の高性能ブタジエン系コンポジット推進薬を採用したほか、S-310同様の2段型最適推力プログラムの採用によって、ペリメータの大きい前部クローバー型断面部が飛翔初期の高推力レベルを、後部円筒型断面部が後期の低推力レベルを補償する設計となっている。ノズル開口比を8と比較的大きくとることで実効比推力の向上も図られた。

 ・構造系
 モータケース材料に当初は超高張力鋼HT-140が用いられていたが、23号機以降はS-310と同様にクロムモリブデン鋼が用いられている。尾翼は前縁がチタン合金、平行部はアルミハニカムをコアとしたGFRP/CFRPの積層を表板とするサンドイッチ構造が採用されており、軽量で耐熱性を有した構造となっている。
 科学観測機器がCFRP製のノーズフェアリング内に収納され、基本計器が底部の平行部に収納される。オプションとして基本計器とモータの間に姿勢制御モジュールや回収モジュールを搭載することが可能である。

 ・改良型
 派生系 SS-520
 S-520に2段を追加して高高度に到達する。1998年に初打ち上げ。さらに3段を追加することで人工衛星の打ち上げもできる。


 …と、こんな「JAXA内之浦宇宙空間観測所」のようであります(^-^)//"

 

 ◆M-3Sロケット

 M-3Sロケット(ミュー3エス)は、東京大学宇宙航空研究所と後継機関の文部省宇宙科学研究所(現宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究所、以下、東大、ISAS)が日産自動車宇宙航空事業部(以下、日産)と共同で開発し、日産が製造、東大とISASが運用した科学衛星打ち上げ用の3段式の固体燃料ロケットである。

 ・技術的特徴

 L-4Sに誘導制御装置を付加したL-4SCロケット(5機打ち上げ)のうち、4号機、5号機を用いて開発が行われた。 第1段目が無誘導であったM-3Hロケットの第1段に、TVCとSMRCによる誘導制御機能を付加したもの。
 SMRCは、ノズルが左右に2つ付いた小型の固体燃料ロケットで、ロケット本体が燃焼中、SMRCの燃料も常時燃焼している。そして常時燃焼している噴出ガスは、内部の電磁弁によって、左右のノズルに振り分けて噴出されることによりロールの制御を行う。
 SMRCの実用化には、電磁弁が焼けないような低温の燃焼ガスを長時間、高圧で噴出させる固体燃料が必要であり、宇宙研が開発した独自の技術である。
 SMRCは第1段目の4枚の尾翼の先端に装着されている。
 「Satellite」・「Sphere」を意味している、L-4Sロケット、M-4Sロケット末尾アルファベット「S」とは異なり、本機の末尾のアルファベット「S」は、「Super Performance」の頭文字「S」である。


 …との事ですけど、GONsanにはサッパリ(^-^;
 こんな所で働いておられます方々は、素晴らしい人たちばかりなんでしょうねぇ(^_^)v

 JAXA内之浦宇宙空間観測所からの帰路では、宮崎県串間市の野生馬を画像に納められましたようですネ(^.-)☆

 ◆都井(とい)岬の野生馬

 都井(とい)岬に住む馬達は御崎(みさき)馬と呼ばれ、堂々として大人しく、人間が近寄っても怖がる様子もありません。海を見下ろす岬で静かに草を食む様子は、穏やかそのもの。
 彼らがここに住むようになったのは、およそ300年前。この地を治めていた藩主が軍馬を育てるために放牧した事がきっかけで、その後、ほぼ人の手が入らずに繁殖を繰り返し、野生化したと言われています。
 昭和28年(1958年)に純粋な日本在来馬として、国の天然記念物に指定されました。現在約80数頭が、半分人間に守られながらここで暮らしています。

 都井岬は南国・宮崎の最南端に位置しますが、やはり冬は寒く、御崎馬たちは森の中で寒さをしのぎます。毎年一月下旬に野焼きが行われ、春から初夏にかけて緑の草原が再生されます。これから暖かくなるにつれて御崎馬たちは、草が豊かな丘で過ごすようになり、春には仔馬(春駒)の姿を見かけるようになります。仔馬はふかふかで、一際可愛らしいのです!

 ◆御崎馬

 御崎馬(みさきうま、岬馬)は、宮崎県串間市の都井岬に生息する日本在来馬の一種。国の天然記念物に指定されている。

 ・特徴

 体高130センチメートル前後、体重300キログラム前後で、ポニーに分類される。
 日本在来馬の中では中型馬に分類される。軽種競走馬のサラブレッドやアラブ種と比べると一回り小さく、体形はがっちりして頭部が大きいが、農耕馬として育成されたほかの日本在来馬と比べると足が細いなど幕藩体制下の乗用馬の特徴が保存されている。
 毛色は鹿毛、黒鹿毛、河原毛が多く、足首が黒いのが御崎馬の特徴である。
 モウコノウマや古い品種のウマによく見られる鰻線という色の濃い線が背中に現れるものが多い。

 御崎馬は、都井岬に牧場が開設されて以来300年以上の間、人為的管理をほとんど加えない周年放牧によって粗放に飼養され、繁殖と育成が自然にまかされてきたため、粗食に耐え、体質が強健で、斜面が多い環境に適した発達した後躯を持つなど、都井岬の自然環境に適応した資質をもつ。
 御崎馬は1頭の牡と数頭の牝とその仔馬で形成されるハーレム単位で行動する。ハーレムをもたない若い牡などは、牡だけの群れを作る。平均寿命は牡が約14年、牝が約16年。牝は3歳ごろから出産、12歳過ぎごろまでほぼ1年おきに平均5-6頭を産む。仔馬は1-2歳で産まれたハーレムを離れる。

 ・歴史

 江戸時代の1697年に高鍋藩の秋月家が軍事に欠かせない馬の放牧を都井村御崎牧(現在の御崎牧場)の藩営牧場で始めたのが始まりとされる。
 明治維新後の1874年に御崎牧場は組合員155名からなる御崎組合の共有牧場として払い下げられた。
 1897年に明治政府は種牡馬検査法を公布し、その後国策として内国産馬の体格を向上させるために洋種馬の血統を導入する計画を実施した。御崎馬も国策としての内国産馬改良事業から完全に逃れることはできず、都井岬には1913年に父がスタンダードブレッド、母が北海道和種と南部馬の雑種の北海道産牡馬である小松号が導入され、種馬として1年間供用され数頭の牝馬が種付けされた。
 小松号の特徴は、栗毛、流星、珠目正、鼻白、右後一白だった。それ以来、御崎馬には栗毛や白持ちで大柄の馬も出るようになった。しかし、小松号の影響は限られたものにとどまり、御崎馬は純粋度の高い馬群を維持する数少ない日本在来馬として残った。

 御崎馬は戦中から戦後にかけて数が減少し、農業の機械化にともない農耕馬としての需要も見込めなくなった。しかし、1953年に「岬馬およびその繁殖地」が国の天然記念物に指定され、1967年と1968年に発足した都井岬馬保護対策協議会と都井岬馬保護対策協力会が御崎牧場に協力、援助する体制ができた。さらに、1974年からは国、宮崎県、串間市の補助事業として保護策がとられ、御崎馬の頭数はじょじょに増加傾向に転じた。
 近年は120頭前後で安定し、半野生状態を維持された希少な日本在来馬として宮崎県の重要な観光資源となっている。
 御崎牧場では、御崎馬本来の特徴を守るため、小松号由来の洋種馬の影響を残す栗毛や白持ちの馬を規格外の御崎馬として牡馬を去勢したり要望があった観光牧場や個人農家などの受け入れ先へ出し、御崎馬本来の特徴を保持した馬群を復元、維持するよう努めている。

 ・伝染病感染による殺処分

 2011年3月、宮崎市の日本中央競馬会宮崎育成牧場で、乗用馬1頭が、ウイルス性の家畜伝染病である馬伝染性貧血(伝貧)に感染していることが判明し、殺処分された。馬伝染性貧血の発症例は、日本国内では1993年以来18年ぶりであり、この個体が都井岬生まれであったことから、都井岬の御崎馬の疫学検査が開始された。

 4月11日、宮崎県は、前年10月に59頭から採取してあった血清を使った抗体検査によって、都井岬の御崎馬のうち、先に殺処分された馬の母馬を含む5頭から、馬伝染性貧血の陽性反応が出たと発表。さらに5月中旬、約100頭の御崎馬(台帳に記載のあるものは114頭)のうち、馬追いで柵内に収容できた96頭について血液検査が行われ、20日、すでに感染がわかっていたものを含めて計12頭の感染が判明したと発表された(すべて発症を伴わない不顕性感染)。7月にも2度目の馬追いが行われた。

 御崎馬は野生馬とされることから、家畜伝染病予防法による殺処分の対象外であり、県は当初「馬伝染性貧血は親子関係で感染することが多く、虫などが媒介し感染が広がる危険は少ない」として、現地で感染馬を隔離、健康状態を観察する方針をとった。しかし、農林水産省は「隔離してもほかに感染する可能性はある」としており、事実、感染馬のうち母馬の反応が陰性であったものが3例確認されたことから、母子感染以外の可能性が浮き彫りとなった。結果、県は国と協議のうえ、「吸血性昆虫の媒介による感染の可能性があり、隔離しても他の馬に感染が拡大する恐れがある」として、7月22日、12頭を薬殺処分した。

 時事通信社の報道によれば、この処分により、御崎馬の数は計85頭となった。


 …と、都井(とい)岬の野生馬には、こんな歴史がありますようですネ(^-^)
 この画像は運良く撮れましたのか、それとも常時こんな光景は眼に出来ますのでしょうか…とにかく、85頭の内の4頭が眼に出来ましたのですねぇ(^-^)//"

 

 本日、午前中に友人から届きました宮崎の画像は、「宮崎市役所」でありました(^.-)☆

 >宮崎市役所です
 >お早うございます
 >昨日の画像を見ながら、横殴りの雨が残念だったけど、
 >鬼の洗濯板はいろんな所で見られたし宇土神宮は素晴らしかったし
 >もっと道路を整備すれば宮崎は素晴らしい観光地になるなーと勝手
 >に思いました

 >今日も雨
 >なんと宮崎は雨が多いいことか
 >太平洋の画像をと思ってホテルを出ると、しとしとと雨が続くので
 >ホテルに帰ることにしました


 …との事で、そぅですか…せっかくのお休みなのに、今日・日曜日は宮崎観光とはなりませんでしたようですネ。

 まぁ広島県も似たようなもので、昨日は好天でしたけど、本日は小雨が降ったり止んだりで、不安定な天候の福山市内でありました。
 今日は、水呑学区民運動会で、澄み切った青空の下での開催となりましたら良かったのでしょうけど、あいにくの空模様。
 幸いに降雨で中断する事も無く無事に終わりましたけど、やはりこの時期の運動会は、雲一つありません青空の下での開催が似合っていますかも(^-^)
 チョッと残念でしたネ(^-^)//"

 宮崎に出張中の友人から本日届きました画像は、また早朝散歩時の一コマでありました(^.-)☆

 >お早うございます
 >今朝は久し振りに晴れたので、
 >宮崎工校のグラウンドで散歩しています…

とのメッセージ付きですから、早速、Googleマップで見てみますと、うん、うん、宮崎北警察署の東側に隣接のラグビー場ですねぇ~

 今朝は久し振りに晴天の宮崎市内との事ですから、早朝散策も気持ち良く出来ましたのでは(^.-)☆
 でも、台風の影響で終日、蒸し暑い天候でしたのかも分かりませんねぇ~福山市内が、そぅでしたから(^-^)
 ところで、台風21・22号の動向ですけど、どぅやら日本には影響が無さそうですネ。

 台風情報を確認してみますと、

 ・台風21号 -- 2016年10月18日16時30分発表

 強い台風第21号は、18日15時には海南島にあって、北西へ毎時20kmで進んでいます。中心気圧は970hPa、中心付近の最大風速は35m/sです。
 この台風は、19日15時にはトンキン湾に達するでしょう。その後、熱帯低気圧に変わり、20日15時には華南に達する見込みです。台風周辺海域および進路にあたる海域は、しけ~大しけとなるため厳重な警戒が必要です。
 次回の台風情報は、19日10時30分の予定です。

 ・台風22号 -- 2016年10月18日16時30分発表

 非常に強い台風第22号は、18日15時にはフィリピンの東にあって、西北西へ毎時30kmで進んでいます。中心気圧は925hPa、中心付近の最大風速は50m/sです。
 この台風は、19日は猛烈な勢力でフィリピンの東を西進し、20日から21日は南シナ海を西北西~北西に進むでしょう。台風周辺海域および進路にあたる海域は、大しけ~猛烈なしけとなるため厳重な警戒が必要です。
 次回の台風情報は、19日10時30分の予定です。


 今後も台風の発生がありますのかどぅか分かりませんけど、今年の台風には『非常に強い台風…』との形容詞が付きますから、何となく嫌な感じですネ(^-^;
 もぅ10月も下旬にと向かいますから、ソロソロ台風も終わりとなって欲しいものです(^-^)//"
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