広島市「不動院・黄金山」 呉市「呉ポートピアパーク・てつのくじら館・音戸大橋」<1/8>
 ■2007年04月21日
 今日は嫁さんのお供で広島行きとなりました(^.-)☆

 今日・土曜日は、午前中にジョギングを済ませ後はノンビリと過ごそぅか…と思っておりましたら、「亡き友達の命日が近付いて来たから広島に行くけど、どぅする?一緒に行く?」と嫁さん。
 で、暫し思案はしましたけど“一緒に行く”と即答のGONsan(^-^)
 と言う訳で、A.M.9:00より広島に向け出発となりました。
 
 我が家を出まして、まず出かけましたのは我が家近くのモータースの車置き場。
 昨年の4月でしたか…ボロい軽四でGONsanが走行中にフロントガラス辺りから水蒸気が吹き出て来まして、ビックリし車を停めて見てみますとエジエーターからの水漏れ(^-^;
 もぅ四苦八苦でどぅにか我が家にと辿り着きました時にはヤレヤレでしたけど、我が家近くのモータースに持ち込みますと「もぅ廃車にして買い換えた方がイィよ…」との事で、アドバイス通り廃車。
 
 以降は結構不便な時もありましたけど、1台の車で何とか過ごして来れました。が、また近々軽四への需要が出て来まして、先日“軽四が必要だけど安いのはありませんか?”と、そのモータースに出かけますと「イィ中古の軽四があるよ」との事。
 で、拝見しますと仲々キレイで走行距離も少ないのですけど、程度からして結構高そう(^-^; 色はダークグリーン。
 “またお願いして値切らなくては…”とは思うものの、40万前後は言われますかも…
 
 次に立ち寄りましたのがホームセンター。
 お墓に供えます花を求めてですけど、嫁さんが花を求めています合間にGONsanはタバコ休憩となりました。
 ホームセンターの駐車場で一服しておりまして眼に入りましたのが、この弘法大師sanの像。ホームセンターの駐車場に向こう向きで立っておられます弘法大師様。
 この位置には神社仏閣がありましたかどぅか…毎日前を通っていますのに分かりませんから哀しいですねぇ〜
 
 そして、いよいよ広島に向け進行です(^.-)☆
 経費節減で高速は使わず国道2号線を走行。嫁さんの運転ですからGONsanは気楽なもの。勿論、横で居眠りです(^-^)
 
 東広島市に入り志和辺りまで来まして嫁さんも少々お疲れ気味。
 ハッと目覚めますと志和ICではありませんか(^-^)
 “ふ〜ん、とぅとぅ山陽道に入る気になったのか…”と想いながらも居眠り続行(^.-)☆
 
 すると山陽道に入って暫く経ますと停車ですから、またまた眼が醒めてしまいましたよ。
 んっ?!…と辺りを見廻しますと「奧屋PA」。とぅとぅ嫁さんも休憩したくなりましたようですねぇ〜
 なら、GONsanもタバコ休憩です。
 で、その際に撮りましたのがこの画像。
 
 鯉のぼりと、駐車場の真ん中にポツンと置かれました缶コーヒーの空き缶です。
 パークエリアなんですから、いくらでも空き缶入れはありますし、ここに放置しなくてもイィものを…と想いながらも、それを片付ける訳でもなく画像に撮るのみのGONsanでありました(^-^;
 
 今日は曇天で幸いにも降雨はありませんでしたけど、気温は20℃を越え少々蒸し暑い一日ではありましたネ(^-^)//"

  

  

 ■2007年04月22日
 今年1月に続いて広島「不動院」でのお墓参りとなりました…

 奧屋PAでの休憩後は、嫁さんとペチャクチャ喋りながらの走行となりましたけど、広島牛田町の「不動院」に到着しましたのはA.M.11:00過ぎ頃でしたか…
 今年の1月にも嫁さんに連れられてこの不動院を訪れていますので、GONsanは二度目の訪問となりました。
 
 嫁さんと親しくして頂いた友人も、亡くなられましてから既に丸3年を迎えようとしています。
 月日の流れの速さを改めて感じてしまいますよ。
 
 この方とは、嫁さんと結婚する前から私も何度もお会いしていますから、墓前で手を合わせていますと色んな想いが脳裏を駆け巡ってしまいますよ。
 年相応の年輪が加わりまして、今でこそ心底明るい笑顔は影を潜めてしまいましたけど、私も嫁さんも、そしてこの方も、昔は本当に明るい笑顔が絶えませんでしたねぇ〜
 それだけに、墓前におりますと遠い昔の楽しかった良き日々のみが蘇ってしまいます。
 
 墓参を終えますと2度目の訪問のGONsanは、“銀山城主・武田公”“豊臣秀吉公”“安国寺恵瓊禅師”“福島正則公”等のお墓参りとなりました。
 前回訪問時には、この歴史的人物のお墓がありますのに気付きませんでしたけど、今回はこれらのお墓が存在します旨の表示板を眼にしておりましたから(^-^)
 こぅしてみますと、『不動院』は仲々の古刹なんですねぇ(^.-)☆
 
 ■不動院
 
 現在、当寺が安国寺不動院とよばれる由縁は、南北朝の戦乱で散った武士達の霊をなぐさめるため、足利尊氏、直義公兄弟が日本六十余州に設立した安国寺の一寺であっとことに由来します。以後、安芸安国寺として、又、安芸安国寺守護武田氏の菩提寺として繁栄しました。
 
 しかし、戦国時代の大永年間(1521〜27)、武田氏と大内氏の戦いにより安国寺の伽藍は焼け落ちてしまいました。その後五十年は藁屋に本尊薬師如来を安置する有様であったと記録されています。
 
 戦火で荒れはてた当寺を復興したのが、戦国大名、毛利氏の外交僧として、又、豊臣秀吉公の直臣大名として戦国の世に名高い安国寺恵瓊です。天下人となった豊臣秀吉公は、恵瓊が住持を務める当安国寺に寺領として一万千五百石を与えました。このような石高寺領は当時の中央社寺に比較しても破格の規模であるといわれています。恵瓊はこの間当寺の伽藍復興に努め、金堂、楼門、鐘楼、方丈、塔頭十二院などを復興整備し、寺運は隆盛を極めました。
 
 ■銀山城主・武田刑部少輔
 
 南北朝時代の初期14世紀中頃に足利尊氏が、元弘の変以来の戦死者の冥福を祈るため全国60余箇所に建てた安国寺の一つで、今から650年前に建立されたもので、記録によると、景陽山安国寺と称している。安国寺は、安芸の国守護の銀山城主武田氏の保護を受けていたが、武田氏滅亡の頃、伽藍が戦火により焼失、寺も衰退した。
 
 その後、安国寺恵瓊が天正年間(1573〜91)にこの寺の住職に、堂塔は主にこの頃再建整備された。また福島正則が広島城主のとき、宗旨を臨済宗から真言宗に改め、寺名も不動院に改められた。ここには国宝の金堂、国の重要文化財の木造薬師如来座像、鐘楼、楼門、県の重要文化財の木造仁王立像がある。又、裏の墓地には、武田刑部少輔の墓、豊臣秀吉の遺髪の墓、織田信長と秀吉とを批評した言葉で有名な安国寺恵瓊の墓、福島正則の墓がある。
 
 ■安国寺恵瓊(1538?〜1600)
 
 室町幕府安芸国守護武田氏の一族で、幼時に家が毛利元就に滅ぼされ、安国寺に逃れる。修行を積んで高い学識となり、信長を評して「あおのけに高転びに転ぶ」と予言したことで有名。
 
 本能寺の変の折りには、毛利の軍僧として秀吉との講和に尽力し、以降太閤のブレーンとして大名であり、かつ東福寺の住持などを兼ねる。
 関ヶ原では西軍に属し、破れて三成と共に斬首。法縁のある建仁寺が引き取ったのが、この卵塔の謂われです。
 
 かっての持ち主の安国寺恵瓊は京都の南禅寺で修行し、後に備後国・鞆の安国寺の住職となった人であるが、毛利氏と秀吉との間に立って、高松城水攻めの時の調停役をつとめた、その後秀吉に信任され、政治上の参謀役になっている。後に東福寺の住職となり、権勢があり、朝鮮の役にも出勤し、慶長5年の関ヶ原の役には西軍についたが、大敗してとらえられ、三条河原で石田三成、小西行長らとともに斬られた。
 
 …と、こんな歴史的背景がありますけど、「豊臣秀吉の遺髪」は安国寺恵瓊が不動院に持ち帰り祀りましたのでしょうねぇ〜
 それにしましても、福島正則公のお墓がこんなに小さく、この不動院に静かに眠っておられますのは意外ではありましたよ。
 
 とにかく由緒あります不動院…感慨深い気持ちが湧いてしまいます。

 

 

   

   

 

 

 

 ■2007年04月22日
 久し振りの広島で、不動院での墓参後は黄金山からの眺望を楽しみました(^.-)☆

 もぅ何年前になりますか…GONsan一家は広島の東雲に10数年ばかり暮らしていましたでしょうか…
 福山〜広島間は、わずか100`程度と近くはありますけど、かと言って頻繁に広島に出かける訳でもありません。ですから、今回も久し振りの広島市内です。
 とは言いましても、今年の1月にヤッて来ましたけど(^-^)
 
 そんなこんなで、不動院での墓参後は黄金山にでも上りまして広島市内を眺望しようか…と、黄金山にと出かける事に致しました。
 広島市に暮らしていました時にはGONchanも健在でしたから、GONchanの散歩コースの一つがこの黄金山でありました。
 こんな経緯もありますから、結構、想い出も多い場所ではあるのです(^.-)☆
 
 ■黄金山
 
 東は坂町・呉方面、北は安佐南区方面、西は西区方面、南は広島湾と太田川デルタを一望することが出来る。
 昼は憩いの場として、夜は広島市でも有数の夜景スポットとして親しまれている。
 山麓の旧道沿いは、原爆投下に際して大部分が山陰に入り爆風の被害を免れたため、土蔵など古い建造物が多く残っている。また桜並木が有名で、毎年桜の開花時期には登山道沿いに植えられた桜で山が桜色に染まり、花見の名所である。
 
 古くは一般に「馬耳山」「城山」の名で呼ばれていた。
 前者は形態、後者は山頂に城塞(仁保城)が築かれた史実に由来するものと考えられる。黄金山の名の由来には諸説ある。「瀬戸内特有の夕陽に黄金色に輝いて見えたから」「航海の安全のための狼煙が天を焦がすほどだったから」「麦畑の穂が黄金色に輝いていた」など諸説あるが、地元では「白い実をつける南天の根元を掘れば小判(黄金)が出る」という伝説が伝わっている。
 
 …と、こんな黄金山でありますけど、広島に在住時でも『白い実をつける南天の根元を掘れば小判(黄金)が出る』と言う伝説は知りませんでしたネ(^-^;
 
 あいにくの曇天で、黄金山展望台からの眺望は今一でしたけど、GONsan達のように展望台まで足を運んでおられます方はパラパラとおられましたネ(^_^)v
 眺望が今一なのは天気の悪さばかりでもないような(^-^)
 当時よく上っておりました頃より何故か展望もよくありません。
 きっと黄金山を取り囲みます樹木が、少しばかり当時より背伸びしていますせいでもあるような(^-^)
 
 黄金山は広島市のサクラの名所の一つでもありますから、つぃ先日までは花見客で賑わいましたのでしょうねぇ〜
 車の窓から登山道沿いの桜並木が眼に入りましたけど、今でも満開時には大変キレイなんでしょうネ(^.-)☆
 
 そぅそぅ、黄金山のサクラと言いますと、もぅ随分前の中国新聞にこんな記事の掲載がありました。
 
 《黄金山の桜保護へ住民が調査》
 
 --- 2007/01/19 中国新聞 ---
 
 広島市南区の住民グループ「黄金山さくらの会」のメンバー7人が18日、黄金山のサクラ並木を守るための調査をした。3月をめどに結果を市に知らせ、立ち枯れた木の伐採や新たな植樹を要望するという。約2キロの登山道に並ぶ約440本のソメイヨシノは、住民による植樹後からほぼ半世紀がたつ。メンバーは1本ずつ番号札を付けながら小枝が放射状に茂るテングス病にかかっていないかなどを調べた。
 
 …と、こんな記事でしたけど、そぅなんですねぇ〜原爆投下後に地域住民の皆様の手で植樹されたのでしょうから、植樹後からほぼ半世紀とは納得です。
 美しい桜並木の維持もまた大変なんですねぇ〜
 
 黄金山の登山道の途中から、昔暮らしていました東雲界隈を眺望しますと、当時とは景観も様変わり。
 新しい建物は随分建設されていますし、近代的な街にと変貌。
 もっと時間がありましたら、当時暮らしていました住居辺りを散策したい衝動に駆られてしまいましたよ(^-^) でも、それはまた次の機会に廻す事に致します。
 
 天気さえ良ければ最高な黄金山からの眺望でしたのに、チョッと残念でしたかも(^-^)//"

 

  

 

 

 

 

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