親孝行な友人の 有馬温泉ぶらり散策 <1/2>
 ■2007年07月23日
 う〜ん、友人は仲々の親孝行者のようですねぇ(^.-)☆

 久しくご無沙汰しておりました友人が、実に久し振りに画像を届けてくれました(^_^)v
 で、拝見してみますと、なんと“有馬温泉”で撮られました数々の画像でありました(^.-)☆
 
 いつ出かけられたのだろぅ?…と、ジックリと拝見しておりますと、画像の中の1枚に鯉のぼりが写っておりましたから、ふん、ふん、今から2ヶ月ばかり前の4月下旬〜5月上旬に出かけられましたご様子。
 そぅ言えば、随分前にこんな事を言っておられましたねぇ〜
 
 「母が近々米寿を迎えるから、精一杯祝ってあげなくちゃぁ後々後悔するかも…どこか、温泉地でノンビリと過ごさせてあげるのもイィかも知れないなぁ〜」と。
 この友人のお言葉を思い出しまして、なるほど、母上様を有馬温泉で過ごさせてあげられましたようですネ(^_^)v
 ご家族の皆様は勿論のこと、ご親戚の方々もご一緒に出かけるかも…とも言っておられましたから、友人のご兄弟も一堂に会し、盛大に母上様の米寿をお祝いされましたのでしょうねぇ〜
 
 こぅしてみますと友人も仲々の親孝行者のようですよ(^_^)v
 これらの画像を拝見しながら、深く反省の気持ちを抱いてしまいましたGONsanなんであります(^-^;
 
 GONsanは昨年の10月頃までは、両親とはスグ近くに別々に暮らしておりました。
 が、両親も年老いて来ましたし同居生活を始める事になりました。
 
 両親が私の所にヤッて来まして、両親の住居には子供夫婦が入居。
 以来、我が家は両親と嫁さんの4人暮らし。
 両親の住居には子供夫婦の2人暮らしの現況です。
 
 同居と言いましても、両親もまだまだ元気ですから、お互い干渉する事なく平和に暮らしてはおります。
 が、私達夫婦、両親、子供夫婦の3組がスグ近くに平和に仲良く暮らしてはおりますけど、この3組の夫婦が何処かに一緒に出かけます事は今まで一度もありませんでしたネ(^-^;
 
 お互いの暮らしには一切干渉しません事を美学に3組が暮らしておりますけど、友人から頂いた画像を拝見しておりますと、ふと、反省の気持ちが湧いてしまいます。
 こんな日々を好き勝手に過ごしていてイィのだろぅか…と。
 イィのか悪いのか分かりませんけど、とにかく今日まで、こんな日々が続いて来ておりますよ。
 
 友人の母上様に対します親孝行振り…これらの画像を拝見しておりますと、痛いほどGONsanの胸に突き刺さるモノを感じます。
 両親の今後の人生を考えますと、そろそろ『干渉しない事が親孝行』との考えは捨て去りませんとならないようですねぇ〜
 
 友人も、イヤな画像を届けてくれたものですよ(^-^)//"

 

  

  

 ■有馬観光案内「ぶらり有馬」

 --- 古泉閣から歩いて有馬を散策してみませんか? ---

 六甲山系北斜面に時が、止まったようなたたずまいを見せる有馬。
 そこは、はるか悠久の昔、大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)により発見されたとされる由緒ある温泉地です。

 その歴史ゆえに、栄枯盛衰を繰り返してきたこの地は、現在では、草津、下呂と並び「日本三名泉」の一つとして多くの観光客に愛されています。

 

  

 ■有馬六景

 有馬温泉は、宝暦3年(1753年)、昭和3年(1766年)と大火に見舞われ焼け、湯治客も年々減り、町は寂れていった。
 そこで有馬の役家である河上維萋らが京都の近偉家を訪れて、有馬の湯に来る人を増やし、賑やかな町にするため、有馬の優れた所を世に広めてもらうように頼んだ。

 有馬の人たちの写生をもとに高僧が絵を描き、それに近偉氏以下の公家が和歌や詩を添えて、昭和7年(1770年)世に言う「有馬六景」が完成した。このような努力の甲斐があって、有馬の町は再び元の賑やかさを取り戻した。
 
 ■有馬の絶景・撮影ポイント

 @鼓ケ滝公園 -- 有馬六景鼓ケ滝の現在の姿。滝を背景に撮影すれば、その清流に心奪われるようだ。
 A妙見寺 -- 落葉山を北に望み展望台からの景色は絶景。太陽と緑の道、ハイキングコースもある。
 Bねがい坂 -- 右手に温泉寺、正面に極楽寺を眺めながらこの坂を上ると、ゆったりとした気分に…
 C瑞宝寺公園 -- その紅葉は素晴らしいの一言に尽きる。毎年秋には豊太閤をしのび、有馬大茶会が催される。

  

 

(右)御所泉源:湯の町の中心のある御所泉源は83度の金泉で、周辺には公園が整備されている

  

 

 ■有馬の歴史

 有馬温泉の守護神として名高い湯泉神社の縁起によれば、泉源を最初に発見したのは、神代の昔、大已貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二柱の神であったと記されています。

 この二神が有馬を訪れた時、三羽の傷ついたカラスが水たまりで水浴していました、ところが数日でその傷が治っており、その水たまりが温泉であったと伝えられています。温泉のありかを教えてくれたこの三羽のカラスだけが有馬に住むことを許されたと伝えられており、「有馬の三羽からす」と呼ばれています。

 有馬温泉の存在が知られるようになったのは、第34代舒明天皇(593〜641年)、第36代孝徳天皇(596〜654年)の頃からで両天皇の行幸がきっかけとなり有馬の名は一躍有名になりました。日本書紀の「舒明記」には、舒明3(631)年9月19日から12月13日までの86日間舒明天皇が摂津の国有馬(原文は有間)温湯宮に立ち寄り入浴を楽しんだという記述があり、それを裏付けています。

 釈日本紀によると、孝徳天皇も同じく有馬の湯を愛され、大化の改新から2年後の大化3(647)年10月11日から大晦日還幸までの82日間、左大臣(阿部倉梯麿)・右大臣(蘇我石川麿)をはじめとする要人達を多数おつれになり滞在されたとの記述があります。

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