岡山県成羽町 吹屋ふるさと村 <4/8>

   

(右)脱酸水槽室です

  

(左)(中)緑礬(ローハ)です(^.-)☆

  

(左)(中)(右)ベンガラ陶芸館がベンガラ館に併設されておりました(^.-)☆

 ベンガラ陶芸館

 明治時代の工場を復元した資料館「ベンガラ館」に併設しているのが、ベンガラ陶芸館。ここでは、手びねりや絵付けが体験できるようになっていて、まったく初めての人でも親切に手ほどきしてくれる。

 ベンガラ焼手びねり1kg 500円、焼成料1kg 1,000円 8箱代・送料は別料金 9、絵付け 1,000円から。

  

↑↓ 吉岡(吹屋)銅山・笹畝坑道の景観です(^.-)☆

   

 笹畝坑道のあらまし

 吉岡(吹屋)銅山は、大同2年(807年)に発見されたと伝えられ、古書に備中の産物に関する記載があるが、吹屋の銅山としての記録は、戦国時代尼子氏と毛利氏の争奪戦以来、江戸時代初期一時、成羽藩の支配下にあったが、大部分の間は天領幕府直轄地で代官の支配下で稼いでいた。

 長い歴史の中で繁栄期は、次の三期であった。

時  代 元禄年間(1690) 享保〜天保年間 明治〜昭和年間
経 営 者 泉屋(住友) 福岡屋(大塚) 三菱(岩崎)
継続年数 35年 2回で107年 57年

 江戸時代の採掘は手堀りで、鉱区も少範囲であったが、坑内の排水が非常に困難であり水抜坑道を堀抜いた時期が繁栄していた。
 明治以降、三菱金属(株)の経営となり、附近の小山を吸収合併し自家発電所を設け、削岩機を使い精錬等の作業を機械化し、日本で初めて洋式溶鉱炉を造り、日本三大鉱山の一つとなった。

 この鉱山は笹畝(ささうね)と称し、支山(しざん)であったが、後年は地下で本坑道(坂本)と連絡している。

 ここでは、黄銅鉱、磁硫鉄鉱(硫化鉄鉱)が産出された。特に江戸時代にはこの地から馬の背に載せて成羽町下原の総門まで運ばれ、高瀬舟に積んで玉島港まで行き、海路を利用し大阪の銅役所へ運ばれていた。

  

↑↓ 吉岡(吹屋)銅山・笹畝坑道の景観です(^.-)☆

   

↑↓ 吉岡(吹屋)銅山・笹畝坑道の景観です(^.-)☆

  

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