愛知県 蒲郡市・竹島・八百富神社 <1/5>

  

(左)JR豊橋駅構内の景観です (中)JR蒲郡駅を宿泊ホテルから撮りましたものです(^.-)☆ (右)蒲郡駅前の景観です

  

(左)(中)JR蒲郡駅南口の景観です (右)藤原俊成伝承地“涼みが杜(すずみがもり)”

藤原俊成伝承地“涼みが杜(すずみがもり)”

 平安時代後期、久安元年から5年(1145〜1149)まで、三河の国司をつとめた藤原俊成は、海に面した温暖な景勝地の竹谷、蒲形地区(現在の蒲郡市)を大変好み、開発に尽力したといわれている。

 俊成が当地で詠んだと言い伝えられる歌に、「大島や小島がさきのほとけ島 すずめの森に恋の松原」…との表示板がありました(^.-)☆

  

(左)藤原俊成伝承地“涼みが杜(すずみがもり)” (中)(右)蒲郡駅から竹島には、こんな景観の中を歩行でした(^-^)/

  

  

↑↓ 竹島園地内の景観です(^.-)☆

  

  

↑↓ 竹島園地内の景観です(^.-)☆ (左)(右)藤原俊成の像です

藤原俊成

 1114〜1204(永久2〜元久1)平安時代から鎌倉時代にかけての歌人。

 最初は顕広(あきひろ)と称し、のちに俊成と改名した。「しゅんぜい」と読む場合もある。

 藤原道長から五代目の子孫で、世に五条の三位と称せられた。歌については“歌はただ、よみあげもし詠じもしたるに、何となく艶にもあはれにも聞ゆることのあるなるべし”(『古来風躰抄』)と言い、『万葉』『古今』の伝統に立脚し抒情性の豊かな歌風を確立した。

 また、平安時代末期の貴族階級に浸透していた無常観は終生変化しなかった。後白河院の命を受けた勅撰集『千載和歌集』の編者として著名であるが、家集に『長秋詠藻』『俊成家集』、歌学書に『古来風躰抄』『俊成卿和字奏状』『古今問答』、秀歌選に『俊成三十六人歌合』など。

 勅撰集入集歌は『詞花集』の1首を初め計421首と伝えられる。その指導下に愛息定家を筆頭に歌人群が輩出した。

  

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