鹿児島県 枕崎市・鹿児島市 <12/22>
小松帯刀(たてわき)

 幕末から明治に至る近代日本の黎明期に数々の英傑を輩出した薩摩藩にあって西郷隆盛、大久保利通に並ぶ、あるいはそれ以上の逸材といわれている。

 28歳の若さで家老に昇進、柔軟の思考を持ち前例にとらわれない卓越しした政治能力は、薩摩の「顔」として西郷、大久保の才能を引き出し、明治維新の大舞台を支えた。

 また、ともに薩長同盟に尽力した坂本竜馬との交流も有名で、寺田屋騒動で傷を負った竜馬とその妻お龍を薩摩に招待し自分の別荘を提供するなど、非常に人情味あふれるエピソードも数多く残されている。

  

(左)小松帯刀の像です (中)(右)西郷隆盛の像です(^.-)☆

   

(左)西郷隆盛の像 (右)中央公園

  

(左)(中)中央公園内の景観です(^.-)☆ (右)西本願寺別院です

  

(左)(中)いづろ通りの景観です (右)鹿児島中央駅前の“若き薩摩の群像”

若き薩摩の群像

 1865年、薩摩藩が密かに派遣した英国留学生達の像。一行の留学体験は、後の日本近代化に大きく生かされました。

  

(左)鹿児島中央駅の観覧車です (中)鹿児島中央駅から“若き薩摩の群像”を (右)鹿児島中央駅です(^_^)v

  

(左)(中)床次竹二郎の像 (右)西郷南洲翁宅地跡の碑

床次竹二郎

 薩摩藩士の子。
 東京府内務部長から徳島・秋田各県知事を経て、1906(M39)地方局長、樺太庁長官も兼任、西園寺(8-1-1-16)内閣の原内相のもとで次官をつとめる。

 13(T2)鉄道院総裁、政友会入りして現職官吏の入党と話題になる。14衆院議員となり以来当選8回。会総務委員から原・高橋是清(8-1-2-16)両内閣の内相。

 24政友本党を結成。その総裁になり政・憲両党間に画策。27(S2)憲政会合流、民政党発足、翌年脱党。田中義一(6-1-16-14)内閣からの政権移行を期待し第3党を計画するが挫折。29政友会復帰。犬養内閣で鉄道相、34党議に反し岡田啓介(9-1-9-3)内閣の逓相、政友会除名。在任中急死。

  

  

(中)甲突川の川下方向に桜島が…

  

(中)(右)大久保利通生い立ちの地

大久保利通生い立ちの地

 大久保利通の生家は高麗町と言われますが、少年期はこの加治屋町で、三歳年上の西郷隆盛と同じ郷中で育ちました。
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