鹿児島県 枕崎市・鹿児島市 <20/22>

  

↑↓ 祇園之洲公園内の景観です(^.-)☆
(右)石工:岩永三五郎の像です
 江戸時代5大石橋を建造した岩永三五郎の像です

石工「岩永三五郎」

 岩永三五郎は肥後の石工の中でも特に卓越した技術を持ち、熊本では初めての水路橋「雄亀滝橋」をはじめ、薩摩藩の招請を受けて、西田橋をはじめとする鹿児島「五大石橋」を架設するなど、肥後の石工の名声を大いに高めた人物です。

 三五郎は「八代郡野津手永西野津村(現在の竜北町)」の石工「宇七」の次男として生まれ、父より石工としての技術、種山石工の祖「藤原林七」からはアーチ式石橋技術を伝授されます。以前は藤原林七の次男と伝えられていたのですが、林七の娘婿ではあるようです。

 三五郎が石工としての真価を発揮したのは、天保10年から嘉永2年までの鹿児島での業績でしょう。鹿児島で三五郎の直属の指揮監督者であった海老原清熈は「性質淡薄にして寡欲、石に良工なりしは人の能く知るところにして、水利を見、得失を考え、大数を測るに敏なる。初めて見る地といえど神のごとし」と、彼の人間性を高く評価しています。石工としてだけでなく、人間「三五郎」を表現したものに違いありません。

  

(左)(中)(右)高麗橋です(^.-)☆

  

(中)1853年島津斉彬により建造された砲台で、1863年の薩英戦争で大きな威力を発揮しました。
そばには、明治始めの政府軍関係者の慰霊碑もあります。(右)薩英戦争記念碑

  

(左)玉江橋です (中)西南の役官軍戦没者慰霊塔

 

  

↑↓ 西田橋:江戸時代、西田橋には門が作られていたようです

   

  

  

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