福岡県 久留米市 <1/12>
寺町

 「寺町」の名の通り、ここには17の(古くは26寺)の寺院が集まって一つの聖域をつくっています。

 数多くの先人が永眠している中で、最もよく知られた人物は、勤王の志士・高山彦九郎、久留米絣始祖の井上伝、久留米つつじの始祖・坂本元蔵、洋画家古賀春江などがいます。

 高山彦九郎の墓のある遍照院には、彼の後を追って死んだ酒好き西道俊のひょうたん墓。筑後の同志を頼って長州から逃れ、果ては止むなく明治四年、同志の手で殺された反政府主義者・大楽源太郎主従四人の「耿介四士之墓」。大楽の庇護と殺害の罪で明治政府から処刑(罰)された地元の志士たちを弔った「辛未遭難志士之墓」が並び立っています。
寺町に眠る主な先人及び墓碑

 (遍照院)高山彦九郎の墓、長州人大楽源太郎ほか(徳雲寺)久留米絣の始祖・井上伝女の墓(少林寺)南画家・近藤藍圃の墓(医王寺)地蔵菩薩彫像板碑(善福寺)二科前衛画家・古賀春江の墓(妙善寺)高村権内の墓(正覚寺)(千栄禅寺)藩儒広津藍渓の墓(妙蓮寺)青木繁の師・森三美の墓(妙正寺)久留米つつじの始祖・坂本元蔵の墓、江戸新内創始者・富士松紫朝の墓(誓行寺)作庭師・阿理成の墓(西方寺)鳥類研究家・川口孫次郎の墓(浄顕寺)大樟あり(真教寺)明善堂創建者・樺島石梁の墓、森嘉善の墓(心光寺)不動堂、揚柳観音堂(本泰寺)藩政改革者・不破美作の墓、丹塗の唐門(宗安寺)ランタイ漆器創始者・川崎峰次郎の墓、土木名奉行丹羽頼母の墓

  

(左)(中)(右)いずれも日吉神社です(^.-)☆

  

(左)(中)日吉神社 (右)順光寺

  

(左)順光寺 (中)(右)医王寺

  

(左)医王寺 (中)医王寺 (右)遍照院

  

  

  

(左)(中)(右)高山彦九郎の墓

高山 彦九郎
 
 高山彦九郎は、延享4年(1747)5月8日、細谷村に高山彦八正教の二男として生まれました。名は正之、字は仲縄で、彦九郎は通り名です。

 彦九郎は、蒲生君平・林子平とともに寛政の三奇人(傑出した人物)として知られた人物で、先駆的な政治理念をもって行動した人としても知られています。幕藩体制が硬直化し、幕府崩壊への兆しが見え始めたこの時期、彦九郎は尊王思想を鼓吹し、幕末の志士たちに多くの影響を与えており、いわば明治維新の先駆者として位置づけられております。

 また、彦九郎は膨大な旅日記を残していますが、そこからは交友範囲の広さや、情報の伝達・普及の一翼を担った旅の思想家という側面が見て取れます。

 彦九郎は、寛政5年(1793)6月27日、九州久留米(福岡県久留米市)の地で自刃しますが、群馬県太田市の生家跡及び遺髪塚は昭和6年に国指定史跡となっております。また、平成8年(1996)、史跡隣接地に高山彦九郎記念館が開館しました。

  

(中)遍照院庭園 (右)徳雲寺

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