丸亀市 丸亀城(亀山城) <3/7>

丸 亀城(亀山城)

 ★ 山の形が似ているので別名「亀山城」

 丸亀のシンボルである丸亀城は、市街地の中央の海抜66bの亀山を中心に、その山裾の平地に外堀と内堀を巡らせて築かれた平山城で、その山の形が亀に似 ているところから別名「亀山城」とも言われています。慶長2年(1597)から5年間の歳月をかけて、讃岐一国の大名として入封した生駒親正により西讃一 円の守備のため築城されましたが、その子一正の代に一国一城の武家諸法度により城を廃止。その後、生駒家(四代54年)のあとをうけた山崎家治が寛永18 年、西讃に封ぜられ、城を再建しました。
 現在の丸亀城建造物は、この時代に作られた物が大部分です。

 ★ 天に向かって弧を描くまさに石垣の芸術品

 丸亀城の見どころは、なんと言っても石垣の美しさ。内堀から天守閣に向けて四段階に積み重ねた石垣は「扇の勾配」とも、清正流「三日月形勾配」とも呼ば れ、下の方は緩やかに組み、頂きに至っては垂直となる独特のそりを持たせてあり、天に向かって弧を描いて反り返る様はみごと。まさに石の芸術品と呼ぶにふ さわしいものです。

 また、外堀(内部を外郭という)は東西およそ六町(約650b)南北八町(約870b)、内堀(内部を内郭)は東西四町(約430b)、南北三町(約 320b)の規模からなり、外郭にはかって藩士たちの住宅がありました。内郭は、大手門から入って山上にある本丸まで、ラセン式に登る構造で、本丸の北面 に天守閣を配し、その東側一段低いところに二の丸が、さらに一段下がったところに三の丸があります。この三の丸は、本丸と二の丸をすっぽり取り巻く格好の 腰曲輪によって、防備をより強固なものにしたと言われています。

 城の正面出入り口には、敵を追いつめるために討って出た追手門(大手門)があり、内堀に架け渡された石橋を渡ると、大手二の門である高麗門があります。 これは、表門にふさわしく、石垣に使用されている石は大きく、しかもノミの跡も美しく仕上げています。この門を入ると周りを石垣で囲んだ桝形があり、桝形 の広場の西に大手一の門である櫓門が厳重な守りを固めています。
 この門は、櫓門に太鼓が置かれていたところから“太鼓門”の名で親しまれています。

 大手枡形の北側の一辺は、二の門を中心に東西を土塀によって仕切っており、土塀の腰羽目には、東側に二ヶ所、西側に三ヶ所の狭間があります。狭間とは、 天守閣や櫓、門、塀、あるいは天井などに作られた窓のことで、弓、矢、鉄砲を敵に向かって射かけるためのものです。現存する丸亀城の建物では、天守閣と大 手門の土塀にのみ狭間の遺構が残っており、特に大手門の狭間は、切り石を六段に積んだ武者走りも備えた立派なものです。

 ★ 四季折々にその姿を変える自然美

 大手一の門をくぐって、右の平坦な道をとると御殿門。左の急な登り坂が、歌人・吉井勇の歌にもよまれた“見返り坂”です。その名のとおり、頭上に覆い被 さる木々は、新緑の頃には若葉のトンネルを作り、五月には坂道に沿って南側に植えられたサツキが咲き競います。そして、青葉をゆるがせて夏が過ぎ、秋には 石垣にからまるツタが真っ赤に燃え、ウルシの葉が鮮やかに光ります。

 その他、城内には一年中、樹木や草花が生い茂り、特に春は、満開の桜に映えて、城は一層美しさを増します。
  

  

(右) 月見櫓跡:讃岐富士を正面に臨みます(^.-)☆

  

  

(右) 大手二の門です

  

  

  

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