22005/02/11 三原・神明市 <2/6>
【三原城】
 
 三原城は、毛利元就の三男 小早川隆景により、永禄10年(1567年)に築城された城です。東は湧原川から西は現在の臥龍橋付近まで約900m、南北に約700m、この中に本丸、二之丸、三之丸、そして二層三層の隅櫓32、城門14があったといわれています。
 
 当時は、その姿がまるで、海に浮いているように見えたため「浮城」と呼ばれ、豊臣秀吉、徳川家康もここに泊まったと言われています。
 
 三原を代表する祭り「やっさ祭り」で披露されるやっさ踊りは、この築城完成を祝って老若男女を問わず、三味線、太鼓、笛などを打ちならし、祝酒に酔って思い思いの歌を口ずさみながら踊り出たのがはじまりと言われ、それ以来、大衆のなかに祝ごとは“やっさ”に始まり“やっさ”に終わる習わしになったと伝えられています。
 
 現在は、石垣とお堀が残り、周辺は、公園として整備されています。
 

【天主台石垣】

 日本一の規模をもつこの天主台は広島城の天守閣なら、6つも入る広さを持つ。三原城が造られた1567年より約10年後に信長によって安土城が造られ、初めて天主台に天守閣が聳えるようになり、以来全国に流行しました。
 然しこの三原城築城の時には、まだ天守閣を造る思想のない時代であったと考えられます。山城から平城に移行する時代のごく初期の築城です。
 
 この裾を引いた扇の勾配の美しい姿は群を抜きます。しかも余人では真似るべきではないといわれた「アブリ積み」という特殊の工法は、古代の石積形式を400年経た今でも立派に伝えています。
 
 1707年の大地震では、城内を役夫2万5千人を動員して修理した。
 
 しかし、破損個所は…「元のごとくなりがたかりしを、伝右衛門(竹原市下市)をして築かしめられけるに、遂に築きおさめければ…」とあるが、これは東北陵面のことと推測します。

   

(右)三原城跡・天主台跡から神明市の露店を展望です(^.-)☆

  

(左)“春日の局ゆかりの城跡”の標識が…何で?!

 

↑↓ 三原城跡・天主台跡から神明市の露店を展望です(^.-)☆

   

  

↑↓ 三原城跡・天主台跡の景観です

  

(右)“NHK大河ドラマ・春日局ゆかりの城跡”とは…どんな縁があるのでしょうネ(^.-)☆

  

(左)(中)(右)ご覧の通り三原城跡・天主台跡は、三原駅に密着状態です(^.-)☆

  

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