22005/02/11 三原・神明市 <4/6>
【極楽寺(県重要文化財)】

 この本堂は、江戸時代中期に建立された浄土宗の建物で、向拝を設けない簡素な造りであり、全体的に素朴な構成で統一されています。浄土宗の本堂は内陣を結界で仕切るのが一般的ですが、極楽寺本堂のように結界そのものが残っているのは、非常に少ないです。
 
 また、背面屋根の錣葺(しころぶき)は広島県の近世寺社建築の特徴の1つです。
 
 本尊 --- 阿弥陀如来 良忠上人作
 額   --- 娯楽寺 学信和尚作
 欄間 --- 本堂内陣正面に、京都の彫刻師中村頼祐作の「龍と波に遊ぶ兎」のすばらしい欄間があります。
 立像 --- 3メートル余りの銅像観音立像が境内にあります。
 庭園 --- つつじでうめられた見事な庭
 墓   --- 湯浅甚介の墓(本能寺の変の時、織田信長に加勢して討死した人。)三千余霊の無縁仏を祀った無縁如来塔や、文豪志賀直哉の「暗夜行路」のモデルのマツさんの墓などがあります。
 石碑 --- 仏教詩人坂村真民の「二度とない人生」などの石碑

 日照山無量寿院極楽寺は、嘉禎3年(1237年)本郷町船木字川西の極楽谷へ、浄土宗第3祖良忠上人布教の際、阿弥陀仏を彫刻され開山されました。
 それから約350年後の三原城築城の時、糸碕神社裏糸崎谷に移築され、そして又、城下整備の一環として寛文年間(1661〜72)城主浅野家の家臣によって現在地に再度移されました。
 
【本堂(広島県重要文化財)】

 江戸時代中期の元文2年(1737年)に再建された桁行7間(13.53m)、梁行5間(13.12m)入母屋造本瓦ぶき(背面しころぶき)の本堂です。

 本堂正面入口や内部中央間近に透き堀の欄間、来迎柱上の組物など、装飾性が加えられているが、側廻りの柱頭に舟肘木を置き、向拝は設けず、全体に素朴な構成で統一されています。
 また、西日本の浄土宗の本堂では当山が唯一の例である結界そのものと格子の建具、両脇陣奥の位牌段下部の究めて珍しい形式の板戸、近世社寺建築の特質である錣葺(しころぶき)などがあります。

 浄土宗の近世遺構の完備した残存例がほとんどない中で、再建に当たってそれ以前の仏堂形式を忠実に継承されている点、日本の仏教建築史上注目されている遺構です。

【山門(市重要文化財)】

 小早川家代々の居城であった高山城の裏門を移築したものと伝えられ、三原城築城の際、城下の町奉行所の門として使われてきました。その後、幕末には三原小学校の前身である亦楽舎(えきらくしゃ)の門として使用された後、明治11年、この地に移されたものです。

 桃山時代の作と言われ「獅子と牡丹」「鳳凰と桐花」の彫刻がほどこされている蟇股(かえるまた)のある切妻作り本瓦ぶき山門です。
 
【青山コレクション達磨記念堂】

 東町極楽寺境内に併設された青山コレクション達磨記念堂は、毎年二月に開催される三原神明市(別名だるま市ともよばれる)の地元、極楽寺石井住職が収集した約1,000個の達磨に加え、達磨コレクターの青山昭美さんのコレクション6,000個の寄贈を受け開設した文字通り日本一の規模を誇る達磨の展示館です。
 
 コレクションは、日本全国を網羅して集められていおり、江戸時代につくられた珍しい陶磁器製の達磨など、学術的価値も高く、研究家・愛好家の垂涎の的です。
 
 展示館は、鉄骨二階建ての延べ面積150u。その名称は、東広島市西条町で病院院長で、全日本だるま研究会の会長を務め1997年に死去された青山昭美さんの名前にちなんだ。
 
 平成17年2月開館予定。

   

  

(中)青山コレクション達磨記念堂です 今月開館したばかりのようですネ

  

(左)(中)コレクションの一部です(^.-)☆ (右)極楽寺境内から神明市を

   

(左)(右)お隣りの万年山松寿寺の三重塔を

   

(右)極楽寺本堂です

  

(中)青山コレクション達磨記念堂と極楽寺山門です(^.-)☆ (右)極楽寺山門です

  

↑↓ 極楽寺本堂内の景観です(^.-)☆

  

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