22005/02/11 三原・神明市 <6/6>
 2005/11/05(土)

 “春日の局ゆかりの城跡”の標識は何で?!…こんな疑問が生じておりましたGONsanなんですけど、今朝の新聞の折り込みチラシと共に入っておりました『備後の道(2005 Vol.30)』に眼を通しまして、ヤッと納得です(^_^)v

 ■備後の道

 備後 みちロマン

 備後の街に残る知られざる「みち」に歴史的資産を尋ねるシリーズ。今回は三原市に残る西国街道(旧山陽道)である、本通りから正法寺を通る小路を紹介します。この小路は、三原城主であった小早川秀秋の家臣・稲葉正成の奥方であった「お福」が戦に出た夫の無事を祈って、日々参詣した「みち」です。「お福」は後に徳川家光の乳母として江戸城に入り、「春日局」となる女性です。

 ◆春日局が参詣した幻の小路

 三原のまちは、小早川隆景が16世紀末に本郷の高山城から移り、三原城を築城したことから始まる。三原城は隆景が瀬戸内海の水軍を掌握していたことから、海に向かっての出入りが出来、軍港としての機能を持つ名城であった。三原市歴史民俗資料館には、三原高校の生徒が復元した模型が展示されている。海の上に本丸、二の丸、三の丸が連なる壮麗な美しさである。「浮城」と呼ばれた由縁である。

 今も本丸の天守台の石垣を残し、かっての栄光を偲ぶよすがとなっている。その北側は鍵型のみちが残り、かっての西国街道(旧山陽道)をそのまま残している。

 三原市歴史民族資料館で三原市文化財保護審議会委員をされている楪博自さんに、三原の道についてお聞きした。3時間にも及ぶお話しの中心は、お福(後の春日局)が、夫の無事帰還を祈って、毎日参拝した小路のことである。

 今もその参詣の小路が残っている。二の丸(現在の港町)に居住していたお福は、現在の本通りから北へ向かう正法寺への参詣道を通り、すぐ脇の坂道、阿房坂を通り、その頂上にある峠の地蔵に参り、宗光寺を通り、鍵型小路を経て、香積寺に向かう。香積寺へ向う100b余の小路を香積寺小路という。そして香積寺から極楽橋を渡り大善寺に参ったという。香積寺と大善寺は、山陽自動車道三原久井ICから降りて来る道沿いにある。また大善寺から西町へ向かう300bの小路は、大善寺小路という。

 多くが幅1b余の坂や小路には、今も民家が立ち並びつつも、かっての風情と情緒を色濃く残している。宗光寺の山門は小早川隆景が本郷の城から移築した城門であり、国の重要文化財となっている。

 楪さんが熱心に語って下さった、この小路には秘められた春日局の物語を重ねつつ歩くと、「みち」の持つ文化と歴史に自然と思いをはせざるをえなかった。

 ここに城下町としての気品と落ち着きを感じる、三原の新しい魅力があった。

 …と、こんな記載がありまして、あの春日局が三原に暮らしていた時期がありましたとは知りませんでしたネ(^.-)☆

 何年か前に臼杵市内を散策していましたら「春日局住居跡」が存在しましたけど、春日局もまた波瀾万丈の人生でありましたのかも分かりませんネ。
 とにかく、三原城跡内の『春日の局ゆかりの城跡』の標識を眼にしまして以降、何故なんだろぅ!?…との想いがありましたGONsanでしたけど、これでモヤモヤも消えヤッとスッキリ致しましたよ(^-^)//"
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