黄檗山“萬福寺” <1/3>

黄 檗山“萬福寺”

 江戸時代初頭に来日し明の隠元禅師が伝えた黄檗宗の総本山中国の黄檗山万福寺を見本とし、建物や彫刻などすべてが、中国ムード。全体を見ると龍の形をし ているという。境内二十三の建物はすべて回廊で繋がれており山門には隠元禅師書の「萬福寺」の扁額が懸かり、その先の天王殿では都七福神の布袋和尚が迎え てくれます。

 回廊を右にまわれば食事の時間を知らせる木製の魚形の魚梛(かいぱん)、本堂の大雄宝殿の諸仏、法堂や開山堂の卍くずしの勾欄と、異国情緒につつまれた たたずまいを満喫することが出来ます。蓮の花も参道で見る事が出来ます。

隠 元禅師
 
 ご開山は隠元隆g禅師です。

 禅師は、中国明代末期の臨済宗を代表する費隠通容禅師の法を受け継ぎ、臨済正伝32世となられた高僧で、中国福建省福州府福清県の黄檗山萬福寺(古黄 檗)の住持でした。日本からの度重なる招請に応じ て、承応3年(1654)、63歳の時に弟子20人他を伴って来朝。のちに禅師の弟子となる妙心寺住持の龍渓禅師や後水尾法皇そして徳川幕府の崇敬を得 て、宇治大和田に約9万坪の寺地を賜り、寛文元年(1661)に禅寺を創建。古黄檗(中国福清県)に模し、黄檗山萬福寺と名付けて晋山されることになりま した。

 禅師の道風は大いに隆盛を極め、道俗を超えて多くの帰依者を得られました。禅師は「弘戒法儀」を著し、「黄檗清規」を刊行して叢林の規則を一変されるな ど、停滞していた日本の禅宗の隆興に偉大な功績を残されたことにより日本禅宗中興の祖師といえるでしょう。爾来、禅師のかかげられた臨済正宗の大法は、永 々脈々と受け継がれ今日に至っています。

 そしてまた、行と徳を積まれた禅師は、ご在世中、物心両面にわたり、日本文化の発展に貢献され、時の皇室より国師号または大師号を宣下されています。
  

   

  

  

  

  

  

(左) 巡照板と勾欄 黄檗山の一日は朝の巡照板によって始まり、夜の巡照板によって終わります。
ここで修行する雲水が正覚を目指して精進を誓い、自覚を促すために巡照板を 打ち鳴らして各寮舎を廻ります。
開山堂・法堂正面の勾欄は卍および卍くずしの文様になっています。

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