沖縄市コザ運動公園・玉泉洞・王国 村・ひめゆりの塔・首里城公園 <5/7>
首 里城公園

 去る沖縄戦ですべてが灰燼に帰した首里城跡地には、1950年(昭 25)に旧琉球政府立琉球大学が創設されました。1970年(昭45)に琉球政府文化 財保護委員会が、戦災文化財として首里城の復元構想を提案し、そして、1973年(昭48)には「首里城復元期成会」が発足し、沖縄県民の間で首里城の復 元が活発に議論されるようになりました。1979年(昭和54)までに琉球大学が西原町のキャンパスに移転したことにより、その跡地利用計画が次々と策定 されました。

 1986年(昭61)には沖縄の復帰記念事業として首 里城跡地を「国営沖縄記念公園首里城地区」として整備することが閣議決定され、その周辺を県営公園 として整備することが庁議で決定されました。その後、復元のための各種調査や設計業務が行われ、これらの調査・設計に基づいて正殿とそのまわりの建物、城 門、石積、園路、植栽などの復元整備工事が進められたのです。

 1992年(平成4)11月3日に首里城公園は一部開 園を迎え、現在は沖縄の歴史・文化を物語る施設として多くの人々が訪れています。
 開園後も引き続き調査・設計業務が行われ、未開園区域の石積工事等が 進められており、首里城の歴史的風致景観が徐々に再現されています。
  

(左) (中)(右)ひめゆりの塔です

  

↓  “ひめゆりの塔”の次は“首里城公園”の観光でした(^.-)☆

  

  

(中) (右)守礼門 尚清王時代(1527〜1555)に創建
門に掲げられている扁額には「守禮之邦」と書かれており「琉球は礼節を重ん ずる国である」と言う意味である

  

(中) 園比屋武御嶽石門:世界遺産 国王が出御の時、道中の安泰をこの石門前で祈願した
(右)歓会門:首里城の城郭内に入る第一の正門 尚真王時代 (1477〜1526)に創建された 別名「あまへ御門(うじょう)」とも言う

  

  

(中) 瑞泉門:「瑞泉」とは「立派なめでたい泉」と言う意味 門の手前にある湧水「龍桶」にちなんで名付けられた

  

(左) 漏刻門:「漏刻」とは中国語で「水時計」と言う意味
駕籠の使用を許された高官でも国王に敬意を表し、この場所で下馬することか ら、別名「かご居(い)せ御門(うじょう)」とも呼ばれる

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