大分県 臼杵市 <9/15>
臼杵公園(臼杵城跡)

 かつては丹生島と呼ばれた島を、戦国時代に大友宗麟が1562年(永禄5年)頃築いた城であった。そのため「敵は攻めにくく、味方は守りやすい」という特長をもった海城は、全国でも珍しかった。

 この四方を海で囲まれている海城は、先端に大きな岩があり、潮の満ち引きで、亀が首を出したりひっこめたりするように見えたことから「亀城」とも呼ばれ、その先端部分を「亀の首」と言われるようになった。

 おそらく宗麟は、ここからたくさんの南蛮船が浮かぶ海を眺めていたことだろう。

  

  

  

(左)(中)野上弥生子文学碑

野上弥生子

 野上弥生子(のがみやえこ)は明治18年、代屋(現小手川酒造)三代目、角三郎とマサの長女として臼杵に生まれた。本名ヤエ。15歳で単身上京。

 同郷の野上豊一郎と結婚したのち、夏目漱石の指導を受けて小説を書き始めた。以後、99歳で逝去するま で現役作家として、「海神丸」「真知子」「迷路」など多数の作品を発表した。昭和39年に「秀吉と利休」で、女流文学賞を受賞、昭和46年には文化勲章を受章した。

  

  

   

臼杵城の歴史

 永禄5年、大友宗隣が臼杵湾に浮かぶ丹生島に築城し、それまでの大友氏代々の居城府内城からこの城に移った。
 天正6年、日向耳川の合戦で島津氏に敗れて以来、大友氏の勢力は衰退し、ついに天正14年にこの臼杵城も落城した。

 福原直高・太田一吉らを経て、慶長5年に稲葉貞通が美濃郡上八幡から5万石で入封した。稲葉貞通・典通父子は2代に渡って臼杵城を修築している。稲葉氏が14代にわたって代々続いて明治にいたった。

  

   

(左)畳櫓 (右)大門櫓

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