嫁さんの母のお見舞いで福井行きでした <2/2>
 ■2007年01月08日
 1/6〜1/7の2日間、嫁さんの母のお見舞いで福井行きでしたC

 義母(嫁さんの母)が入院しています病院の近くに存在します「若狭町役場上中庁舎」。
 この庁舎内の駐車場の一角に以前からこんな像が設置してありまして、この前を通ります度に“どなたの像なんだろぅ?…”と思ってはおりましたけど、今まで、立ち止まってシゲシゲと拝見します事はありませんでした。

 が、この日は初めて、わざわざ駐車場の中に入り車から降りての拝見となりました(^_^)
 像には『義民 松木庄左衛門像』と表示。
 “松木庄左衛門とは何者なの?”と嫁さんに尋ねますけど、「知らない(^-^; こんな像がここにいつ設置されたのかも知らない…」ですから哀しいですねぇ(^_^)

 後で、我が家にと戻って来ましてねっと上で検索してみましたら、こんな記載がありましたネ(^.-)☆


 ■農民たちを救った松木庄左衛門

 江戸幕府の政治が一段ときびしさを増してきた17世紀ごろ、農民への締めつけはすさまじいものでした。この若狭地方もまたやはり農民の生活は苦しいものでした。
 さらにその上、若狭の領主京極(きょうごく)氏は、小浜城を築くために年貢を多く取立てて領民を苦しめました。1俵を4斗から4斗5升とし、大豆の年貢を引き上げたのです。

 ようやく領主が酒井忠勝に代わっても、その軽減は聞き入れられず、その苦しみは続いたのです。
 寛永(かんえい)17年(1640年)、若狭三郡の庄屋(しょうや)・総代(そうだい)が寄り合い、政治をあらためさせるため、領主に訴え願い出ることにしました。

 このときの総代に選ばれたのが、新道村(現在の上中町新道)の庄屋、松木庄左衛門(まつのきしょうざえもん)でした。庄左衛門は当時16歳でしたが、知勇にすぐれ正義心が強く、みずから先頭に立って領民救済(きゅうさい)の旗印をかかげたのです。

 嘆願(たんがん)すること十数回、実に九年間におよんだといわれています。
 けれども、この必死の運動もまったく無視されつづけ、慶安(けいあん)元年(1648年)には、ついに代表の庄屋たちが投獄(とうごく)されてしまいました。その投獄後は恐れと疲れなどで同志の者が一人二人と去っていき、4年後にはついに庄左衛門ひとりだけになってしまいました。

 それでもしかし、庄左衛門の意志はかたく、相次ぐ拷問(ごうもん)にも耐え、獄中でも信念を貫き通し、投獄5年目にしてようやく領主の心をとらえ、目的を達成することができたのです。ついに、「1俵4斗」という従来の年貢の基準を認めさせたのです。
 しかし、庄左衛門は強訴(ごうそ:領主・代官などに対し、集団で強引に訴えごとをすること)の見せしめと、権威(けんい)を傷つけた責任を問われ、慶安5年(1652年)5月16日、日笠(ひかさ)川原で磔刑(はりつけの刑)に処せられ、わずか28年の生涯を閉じました。


 …と、こんな内容でしたけど、ふ〜ん、“松木庄左衛門”と言う方は仲々立派な人物だったのですねぇ〜
 だからこぅして像が設置されていますのでネ。

 この旨を嫁さんに話しますと、「そぅそぅ、そんな人物だった事を憶えている…」ですからタマりませんねぇ(^-^;
 郷土の偉人を忘れるなんて、困った嫁さんですよ(^-^;

 処刑の後、庄左衛門の亡骸は日笠の禅刹正明寺に葬られ、法名は「松木長操居士」。
 庄左衛門亡き後は篤志家たちの尽力と、多くの崇拝者たちの協力によって「松木長操居士」のお墓・松木神社も創建。
 近年では、松木長操史跡公園・義民館等も建設されましたようですネ。

 ふん、ふん、嫁さんの郷里には、こんな史跡が存在しましたとは今まで全く知りませんでしたねぇ〜
 次回に福井を訪れます際には、今度はジックリとユックリとこんな史跡を巡ってみたいものですよ。

 それにしましても嫁さんには困ったものですよ(^-^;
 郷里にこんな偉人が存在しまして、その史跡も残っていると言うのに、GONsanに今まで少しも教えてくれませんとは…
 とは言いましても、庁舎の像も比較的新しく見えますから、最近設置されましたのかも…

 郷土の偉人・松木庄左衛門の存在を風化させない為にもこぅして像の設置をなさりましたのかも…
 とにかく『松木庄左衛門』sanは、実に立派な人物でしたのでしょうねぇ(^-^)//"

 

 ■2007年01月10日
 1/6〜1/7の2日間、嫁さんの母のお見舞いで福井行きでしたD

 嫁さんの里・若狭町滞在2日目の朝、未明の激しい雷の音で、起床し外の様子を伺いますのに少し躊躇しましたけど、外の明るさが気になりまして窓から覗いてみましたら昨日とは一転し雪景色。
 でも、予想に反して大した積雪でもありませんでしたから、とりあえず一安心(^.-)☆
 ただ、その時には激しいミゾレが降っておりまして、未だに時折り雷の音(^-^;

 う〜ん、こぅして終日降り続くのだろぅか…と危惧されてしまいます。
 が、朝食後に再度、外の様子を伺いますとミゾレも止んでおりましたから、またまた一安心(^_^)
 挿入の画像は、朝食後に周辺を散策しながら撮りました雪景色なんです。

 この3連休を3日間とも若狭で過ごし義母を見舞う予定でしたけど、天気予報ではなんせ「爆弾低気圧」ですから、今からの降雪も危惧されてしまいます。
 ですから、午前中は病院に出かけ、義母の昼食を見届けから失礼しようか…と嫁さんと相談。

 結局、義母の昼食が終わり、そのまま睡眠にと入ってしまいましたので、それを機に若狭を失礼する事になりました。
 仲々お見舞いに来れません嫁さんは、眠っています義母に後ろ髪を引かれる想いでしたのでしょうけど…

 福山への帰路は、積雪を避け琵琶湖にと出まして、近江今津から国道161号線で京都東ICにと向かい名神---中国自動車道---山陽自動車道で帰福。
 湖西方面は積雪もありませんで楽な走行となりましたけど、若狭町〜近江今津間の保坂峠越えは少々怖さも感じましたネ(^-^;

 大した積雪でもないのでしょうけど、めったに雪道を走行しませんGONsanですから、おっかなビックリ(^-^;
 “滑るかなぁ〜”と心配のし通しで、近江今津に無事出て来ましたときにはホッと一安心。
 内心、実に嬉しい気持ちでしたよ(^_^) “これでなんとか福山に帰れる”と(^.-)☆

 降雪がありませんでしたら久し振りに若狭でノンビリと過ごせたのですけど、それがならず残念でしたネ(^-^)/"

 

 ■2007年01月11日
 1/6〜1/7の2日間、嫁さんの母のお見舞いで福井行きでしたE

 琵琶湖西側の国道161号線で京都東ICにと向かっておりますと、いつもの事ですけど“白鬚神社”の前を通過します。
 たまたま白鬚神社が近付いて来ますと激しいミゾレが降り始めてしまいました。
 で、帰路の安全を祈願で“白鬚神社”にチョッと立ち寄りとなりました(^.-)☆

 ご覧の通り激しいミゾレで、もぅ雨に近かったのですけどネ(^-^)
 神社内の駐車場に車を止め参拝となりましたけど、こんな天候にも拘わらず10人ばかりの方々が参拝しておられます(^_^)v


 ■白鬚神社(高島市) -- しらひげじんじゃ --

 JR近江高島駅の南約2kmにある神社。湖中に朱塗りの大鳥居があり、国道161号線をはさんで社殿が立つ。「白鬚さん」「明神さん」の名で広く親しまれ、また、「近江の厳島(いつくしま)」とも呼ばれています。

 社名のとおり、延命長寿・長生きの神様として知られ、また、縁結び・子授け・開運招福・学業成就・交通女全・航海安全など、人の営みごと、業ごとすべての導きの神でもあります。祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)。

 創建1900年、近江最古といわれる歴史を誇り、現在の社殿は豊臣秀吉の遺命によって、その子秀頼が片桐且元(かたぎりかつもと)を奉行として造営したものです。本殿は正方形の明解な平面で、明治時代の拝殿再建の際、本殿に接続させたために現在のような複雑な屋根形式になっています。

 水平線に浮かぶ沖島を背景に、湖中の鳥居を通して漁船が行きかう風景が美しいです。また、9月5、6日の例大祭には、京都・大阪を始め全国から多くの参拝者があります。また境内には、明星派の歌人である与謝野鉄幹・晶子夫婦が神社を訪れた時に詠んだ歌を刻んだ歌碑があります。

 …と、こんな白鬚神社なんですけど、天気が良ければ立ち寄りませんでしたかも(^.-)☆
 とりあえず、ミゾレの降り続く中を数枚パチリ。
 参拝しましたお陰で、無事に福山にと戻って来る事が出来ました(^.-)☆

 いつでしたか嫁さんが、「私の弟はこの神社で命名して貰った…」とか言っておりましたネ。
 神社の名前が“白鬚神社”ですから延命長寿・長生きの神様として知られていますから、嫁さんの弟はきっと長生きしますかも分かりませんネ。

 それにしまても、以前はこの辺りは「高島町」と言っていたように思うのですけど、今では『高島市』なんですねぇ〜
 平成の大合併により全国各地で広範囲に渡りまして合併が行われましたから、まだまだ地名には戸惑いを感じてしまいますよ。

 琵琶湖畔ですから、天候さえ良ければそれなりに美しい景観が楽しまれましたのですけど…
 チョッと残念でしたネ(^-^)//"

 

 

 ■2007年01月12日
 1/6〜1/7の2日間、嫁さんの母のお見舞いで福井行きでしたF

 琵琶湖畔の“白鬚神社”でチョッと参拝後は、一路「京都東IC」へ。
 無事に名神に入りましてからは、名神 --- 中国道 --- 山陽道と、ひたすら福山に向け走るのみ。

 …と、言いたいところですけど、山陽道に入ります前に“西宮名塩SA”でチョッと休憩となりました(^_^) あまり空腹感はありませんでしたけど、何か食べようと言う事で(^.-)☆

 で、駐車し、車から出ようとしました際に眼の前の車のナンバーに眼が向かってしまいまして“んっ?!”と、とりあえず3枚ばかりパチリとなりました(^_^)v
 車輛ナンバーは『USN 450881』と6桁ナンバー。

 嫁さんに“あのナンバー面白いよ、6ケタナンバー”と言いますと、「どこが面白いの、アメリカ車じゃろ(^_^)」と嫁さん。
 “じゃぁ、USNは何の略?”には「United States Nation」と即答の嫁さん。
 何となく違うような気もしたのですけど、自信を持って即座に回答してくれるものですから、スンナリと納得してしまいましたGONsanです(^.-)☆

 それっきり6桁ナンバーの車のことは忘れてしまいまして、西宮名塩SAで30分ばかり休憩となりました。
 3連休の中日とは言いましても天候が良くありませんから、SA内はさほどの混雑でもありません。利用者は少ない方かも分かりません。
 とは言いましても、お土産を求めます方々でそれなりに混雑はしておりましたけど…

 それにしましても、嫁さんも結構ウソつきですねぇ(^-^;
 今日この画像を眼にしまして、ネット上で「USN」を検索してみましたら、ありましたねぇ(^_^)v


 ■USN
 アメリカ海軍(−かいぐん、United States Navy:略称、U.S.Navy)はアメリカ合衆国が保有する海軍のこと。

 との記載がありましたから笑ってしまいましたよ(^_^)
 さも自信ありげに「United States Nation」でしたから、今その時の様子を想い出しましても笑えてしまいます。
 でも、今頃になりまして“違うじゃぁないの!!”とでも言おうものなら、一発で不機嫌になりますかも分かりませんから、とても言えません(^_^)

 それにしましても「ウソつき」な嫁さんですよ。
 まぁGONsanも結構ウソつきですから、目くじら立てて責める事も出来ませんが(^-^)/"

   

   

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