GW前半は お見舞いと若狭路散策でありました(^.-)☆ <4/5>

 

(左)(右)昭和36年の台風で倒壊し、同49年に再建された小野寺の仮本堂。巨石の石垣が往時の面影を偲ばせます。

  

  

 ■日枝神社『銅造梵鐘』

 太良庄東端に一見して気づく大きな両部鳥居があり、神亀5年(728)の勧進と伝える日枝神社が鎮座する。
 その鳥居から参道400m歩むと神殿があり、その右側の鐘楼に梵鐘がある。

 この梵鐘は金屋(小浜市金屋)の大工九郎左衛門の作になることが刻銘によって明らかで、中世以降若狭鋳物師の本貫として周知される金屋の鋳物師が鋳造した梵鐘として、市内唯一の遺品であり極めて貴重な作例である。

 その池の間三区の銘文は「若狭遠敷郡太良庄、山王鐘大工金屋九郎左衛門、本願祗園□摩常重坊 時之地走在所歳寄衆 同惣中 干時慶長拾七壬子年潤十月十五日」「右御奉加京極若狭守 同小九御上様 時之地走御奉行衆」「時之御奉加 熊谷氷主 網野ト玄入道」とある。

 梵鐘は総高105p、口径55.3p、池の間は29.7p×31pである。

 金屋鋳物師による刻銘梵鐘は、応永4年(1397)を初見として慶長17年(1612)に至り、以後は明らかでない。

   

   

(左)日枝神社『銅造梵鐘』 (右)日枝神社「神殿」

   

   

(左)(右)養老4年(720)の創建と伝えられる丹生神社。古代の太良庄は「丹生」と呼ばれました(^.-)☆

 

 

(左)(右)丹生神社境内からの田園風景です(^.-)☆

   

 

 

 ■常高寺

 常高寺は、江戸時代初期の小浜藩主京極高次の妻、常高院(お初の方、信長の妹お市の方の次女)の発願によって建立された寺であります。
 寛永七年(一六三〇年)に建設に着手し、小浜出身の槐堂周虎(かいどうしゅうこ)禅師を迎えて開山としました。

 常高院は寛永十年、江戸にて没し、その遺骸は後瀬山麓にある常高寺の境内地に葬られ、四メートルに及ぶ宝筐印塔が建てられ現存しております。常高院が寄進した近江国長田村の三百石の寺領に対しては、将軍家光を始め、代々の将軍より、御朱印状が下賜されました。又、京極家やその後を継いで小浜藩主となった酒井家よりも保護を受け、江戸時代から明治にかけては大変隆盛を誇り明治期には多くの禅界の逸材を輩出しました。

 明治以降、寺領は没収され、又、京極家よりの庇護もなくなり、寺は次第に衰運に向かい、大正十二年には本堂焼失などの災難が続き、戦後の農地改革では寺の田畑も失って、ついに無住の寺となり荒れるに任せておりました。

 が、近年になり、次第に再建の気運が高まり、平成二年より再建に着手し、山門、書院等の修復を経て、平成十三年秋、本堂を再建、落慶法要が行われました。

   

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